ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
オルケスタ・デ・ラ・ルス(Orquesta De La Luz)は、日本人が1984年に結成したサルサの楽団。Orquesta De La Luzとは光の楽団(オーケストラ)という意味である。結成時のリーダーはパーカッショニストの大儀見元で、ヴォーカルはNORA。大儀見が脱退後は同じくパーカッショニストのカルロス菅野がリーダーを務めた。1997年にバンドは一度解散したが、2001年より活動を再開している。バイオグラフィ日本初のサルサ・バンドであるオルケスタ・デル・ソルに参加していたパーカッショニストの大儀見元をリーダーとして、1984年に結成。1989年の夏にニューヨークのサルサ・フィスティバルで成功をおさめ、翌年BMGビクター(後のBMG JAPAN、現Ariola Japan)より『デ・ラ・ルス』でデビューする。ビルボード誌ラテン・チャートで11週間にわたって1位を獲得し、圧倒的な人気を得た。前年の内に大儀見は脱退し、カルロス菅野がリーダーを継ぐ。1991年の2枚目のアルバム『サルサに国境はない』はプラチナディスク、1992年の3枚目のアルバム『ディフェレンテス』は、ゴールドディスクを獲得。1993年に発表した4枚目のアルバム『ラ・アベントゥーラ』はグラミー賞にノミネートされ、その年のNHK紅白歌合戦に紅組で出演している(参照「1993年の音楽」)。同年に日本人の音楽家としては初めて、国連平和賞を受賞した(よく言われる寺内タケシに授与されたのは国際連合発行のピースメダルであり、国連平和賞ではない)。ピアニストの塩谷哲は、ジャズの分野で活動するようになり、1995年に菅野は熱帯JAZZ楽団を結成、NORAが芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)を受賞するなど、メンバーがそれぞれソロ活動を行うようになり、1997年に解散。因みにこの年に大儀見はサルサ・スウィンゴサを結成している。BMGビクター期のアルバムは、2000年にBMGファンハウス(現Ariola Japan)より再発されている(実際にはGT Music)。『フェリス・クリスマス』は、再発時に『サルサ・クリスマス』と改題されている。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件を受けて、2002年に主宰したチャリティー・イベント「ワールド・ピース・ミュージック・フェスティバル」でバンドを再結成
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