ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
岡平 健治(おかひら けんじ、1979年3月28日 - )は、日本のプロミュージシャン、シンガーソングライター。身長161cm。血液型B型。広島県呉市出身(正確には生まれは長崎県香焼町(現・長崎市))。広島県立呉工業高等学校卒業。中学時代は呉市立昭和北中学校に在学、小学生の頃は山口県の防府市で過ごしたこともある。元19のメンバーでボーカル・ギター・ハープ担当。現3B LAB.☆Sのボーカル・ギター担当。他にもベースの演奏、キーボード・琉球三味線による弾き語りも披露している。父も「広島フォーク村」で吉田拓郎らと活動を共にしたミュージシャンだった。現3B LAB.☆Sの千葉貴俊とは師弟関係にあたる。経歴中学生の頃から、ソロで、多くのオーディションに参加し、多数受賞する。高校時代、中国放送でラジオ番組の準レギュラーをする。そして、高校時代から呉の駅前などで路上ライブの活動を行う。(活動時期・内容は定かではないが、ソロとして学校フレンド、姉とのユニットとして学校フレンズという名義で活動していた)。1996年、高校3年の夏にティーンズミュージックフェスティバルで岩瀬敬吾と知り合い、1998年春に広島から大阪でのライブ活動を経て上京し「少年フレンド」というユニット名で活動を開始した。それぞれアコースティック・ギターを持ち、高円寺や下北沢でそれぞれの作詞作曲である楽曲をライブハウスやストリートで歌っていた。途中、自分の描いた詩に曲をつけてくれるミュージシャンを探していたイラストレーターの326と出会い、意気投合した3人は1998年11月に「19」を結成。(実はこの前に、3BLAB.☆SのイラストレーターKATOKENと健治が東京、原宿で、出会っている。)11月21日に「あの青をこえて」でデビューし、1999年には「あの紙ヒコーキ くもり空わって」がロングヒット、NHK紅白歌合戦へ出場。2000年には5thシングル「水・陸・そら、無限大」がシドニーオリンピック日本代表選手団公式応援ソングとして採用される。この曲で同年二度目の紅白出場を果たす。2001年に旧友の千葉貴俊(ベース)、飲み会で偶然相席して出会った玉越理寛(ドラム)とロックバンド「3B LAB.☆」を結成し、19活動中にも数回ライブを実施。2002年3月に19を解散してからは本格的に3B LAB.
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