ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
北野 誠(きたの まこと、1959年1月25日 - )は、日本のお笑いタレント。大阪府大阪市鶴見区出身。松竹芸能所属。旧芸名は誠、MAKOTO。来歴MAKOTO時代1980年当時の上方芸能において「タレント」や「芸人」になるには師匠となる芸人に師事し、門下生となり、付き人をしながら芸を学習する徒弟制度が通例であったが、学生タレントとして二足の草鞋を履いていた北野は弟子入りの機会を逸する。弟子入り先を求めて吉本興業所属の前田五郎の下に出向くも、応対に出た弟子の柄が悪かったため、入門してしまうと「先輩後輩」の関係になる事を懸念し、断念。その後松竹芸能に養成所がある事に気づき、仕事さえ取れれば直ぐに活動が出来る利点がある事から松竹芸能を選択。コンビ解散後は、「MAKOTO」の芸名で関西ローカルで活動。加入時は吉本興業が絶大な人気を誇っており、当時の松竹芸能の社風とその所属芸人独特の雰囲気に加え、角座(旧)では古参、中堅、新人が一つの楽屋を使用、特定の師匠の指導を受けずに活動をするタレントは皆無に等しく、そのために業界の慣例が分からずに肩身の狭い思いをしたりといった苦労に見舞われ、壁には昔の芸人が書いたものと思われる「シャブ打ちたい」という落書きを見て不安に駆られる。事務所独特の「居心地の良い閉塞感」から自分なりに脱却しようと桂小春、笑福亭小つる(現、桂小春団治、笑福亭枝鶴)ら3人でジャンルを無視したユニット「ギャグ性感隊」を結成。年一回、新作ネタのライブを行うという形で、業界関係者の目に止まる。TV出演当初は「学生のノリの軽佻浮薄で大げさなそぶり」というリアクション芸人さながらの行為や、「早口でギャグを捲くし立て、自分のボケに自分でつっこむ」という掛け合いしゃべくりのノリツッコミ等で、アイドルのように数十人程のファンの「追っかけ」もあった。だがレギュラー番組終了と同時にその追っかけ達も消滅し「ファンて、こんなもんなんや」と自分のしている仕事を冷静に見つめ、しばらく仕事が無く滅入る。1981年に映画「ガキ帝国」に出演した際、井筒和幸監督や出演者らと共に大酒を飲み、飲酒の勢いも手伝い、新宿で交通標識等を集団で破壊。北野は井筒らと共に逮捕され、7日間の拘留の後に不起訴処分となる事件も起こしている。漫才時代からの持ちネタを生かし、当時人気だった「スチュワーデス
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