ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
種 ともこ(たね ともこ、1961年11月7日 - )は日本のシンガーソングライター・アレンジャーである。京都府長岡京市出身。同志社大学文学部哲学科卒業。自身でもオリジナルを発表する傍ら、多数の楽曲提供やアレンジ、音楽監督などの活動も行っている。親友にシンガーソングライターの新居昭乃など。2児の母でもある。エキセントリックかつキュートな歌声と日常的・直接的な言葉遣いの歌詞が特徴。来歴3歳よりピアノを習う。7歳のときに骨の病気が発病、約10年間入退院を繰り返す。当時同居していた叔父から(ギルバート・オサリバン、シカゴ、アルバート・ハモンド)などを聴かせてもらい洋楽を知る。また、歌謡曲も好きでいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」は後にカバーする。中学時代は、合唱部に入部。コンクールでも入賞するような強豪校でありハーモニー(和声)の仕組みを学ぶ。この頃よく聴いていたのはビートルズ。部活の先生に声楽科への進学を勧められるが、声楽科のある高校は、ほぼ女子高のため普通校に進学。高校時代は、病気が再発したこともあり休みがちになる。この頃、詩を書き始める。影響を受けたのは西脇順三郎。また、知人のハードロックバンドに加入しキーボードを担当、ライブも経験する。セックス・ピストルズ、ケイト・ブッシュに影響を受ける。高校3年生のときニーチェを読んで哲学に憧れ大学は哲学科に入学するもすぐに飽き、バンド活動に明け暮れる。このバンド「OLFE」ではキーボード・作曲・アレンジを担当、ボーカルは別のメンバーだった。。『うそつき少年』でKBS放送アマチュアコンテストで優秀賞を受賞。大学卒業後、アルバイトをしながら音楽活動を続ける。1984年、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)のSDオーディションで『うそつき少年』が優秀賞を受賞(ちなみにこのときの最優秀賞は、THE 東南西北。優秀賞は、種とLOOK。特別賞は、聖飢魔II。)。翌1985年6月に上京。12月、『You're The One』(ANAスキーイメージソング)でデビュー。初期の3アルバム『いっしょに、ねっ。』(1986年2月)、『みんな愛のせいね。』(1986年11月)、『Che Che-Bye Bye』(1987年10月)は、武部聡志がアレンジおよびプロデュースし、彼らしい計算されつくしたシンセサイザーの
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