黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、司会者、声優、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家である。血液型はA型。愛称は「トットちゃん」、「チャック」。所属事務所は吉田事務所。日本のテレビ放送開始以来長年に渡り第一線で活躍している、テレビ放送史を代表するタレントの1人である。テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計760万部を誇る戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。略歴生い立ち東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂生まれ。大田区北千束町で育つ。名前は、両親たちが男の子が生まれると思い「徹」という名前を考えていたのだが、実際は女の子が生まれたため「子」をつけて「徹子」とした。また、「黒柳」とサインを書くときには柳の異体字である「栁」(木偏に夘)を使う。父は音楽家で、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母はエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟はヴァイオリニストの黒柳紀明、妹はバレリーナでエッセイストの黒柳眞理、伯父には日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。第二次世界大戦中は青森県三戸郡南部町に疎開していた。トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科卒業。慶應義塾大学文学部中退。1953年にテレビ女優第一号の一人としてNHKに入局。1971年にニューヨークのメアリーターサイ演劇学校に留学。マルチタレントとしてNHK放送劇団、文学座研究所を経て女優デビュー。テレビ誕生とともに生まれた日本初のテレビタレントにして、60年以上テレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けている唯一のタレントでもある。放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などの失言を繰り返したのにもかかわらず、合格できたという。女優の志望動機は、お母さんになった時に子どもに絵本を読み聞かせられるようになりたかったからだったが、1952年に翌年のNHKのテレビ放送に備え招かれていたアメリカ合衆国NBCプロデューサーのテッド・アレグレッティーの講演で「アメリカのテレビ局はスポンサー
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