ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
田口 トモロヲ(たぐち トモロヲ、1957年11月30日 - )は、日本の俳優、ナレーター、ミュージシャン、映画監督、元エロ劇画家。音楽活動ではパンク・ファンクバンドばちかぶりのボーカリストとして知られる。本名、田口 智朗(たぐち ともお)。所属事務所はマッシュ。かつてNHKで放送されていたドキュメンタリー番組『プロジェクトX』の語りで有名。人物東京都武蔵野市出身、獨協大学経済学部中退(4年間一度も進級しなかった)。在学中からアングラ演劇、自主映画などに係わる。1978年劇団「発見の会」入団。1982年『俗物図鑑』で映画デビュー。1985年に演劇集団「劇団健康」を結成し、1992年に解散。その一方、エロ劇画家、ライター、イラストレーターなどで生計を立てていた(本名の田口智朗名義)。現在でも「初期エロ劇画家時代の彼にも眼を見張るものがあった」という意見は多い。が、彼本人は「技術がないのが自分でもわかってしまって、飽きてやめた」と言っている。1983年に代々木公園で見たじゃがたらのライブに影響され、パンクバンド「ガガーリン」を結成。アンダーグラウンド・ロック集会「天国注射の昼」にも出演していたそうだが、植木等の映画の曲を演奏したため、版権の関係でビデオには収録されていない。その後、1984年にばちかぶりを結成。俳優としては、以前より数々のピンク映画やアダルトビデオに出演していたが、1989年12月31日に放映された実話ドラマ『シャボン玉の消えた日』(日本テレビ)で、自らも尊敬する植木等役に抜擢され演じたのを皮切りに、同時期に主演した塚本晋也監督の劇場映画『鉄男』が話題を集め世間から注目されだした。1994年にハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、漫画家のみうらじゅんとユニット「ブロンソンズ」を結成。またブロンソンの影響でか「仕事は選ばず手を抜かず」を信条としており、その役作りにおいては圧倒的なこだわりを見せる。自らプロレスラーを演じた映画『MASK DE 41』では監督から「20kgデカくなってほしい」との要望を受け、クランクイン前の約1年間をかけてアニマル浜口のジムとFMWの道場で過酷なトレーニングを積み肉体改造に成功。さらにハヤブサとのスパーリング特訓で、試合シーンも吹き替え無しで演じきった。三池崇史監督映画に頻繁
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