米良 美一(めら よしかず、1971年5月21日 - )は、日本の歌手。宮崎県西都市出身。身長142.7cm。洗足学園音楽大学卒業後、アムステルダム音楽院にオランダ政府給費留学している。世界的にも評価されているカウンターテナーとして知られている。略歴; 1971年: 宮崎県西都市に生まれる。先天性骨形成不全症を患っていたため、幼いころから骨折を繰り返していた。; 1978年 - 1984年: 地元の西都市立三財小学校に通う。子供の頃から歌が好きであったが、身長が伸びず、両腕も伸ばせない症状のため、手を重ねて歌う姿に小学生時代には執拗ないじめを受けた。7歳からの数年間は宮崎市の宮崎県立赤江養護学校(現・赤江まつばら支援学校)に籍を置いて寄宿舎生活を送った。体調不良により床に臥す日々が続く時はカセットテープに録音されていた歌謡曲を聴いて過ごし、演歌、民謡に親しんだ。初めに聞いた曲がきっかけでアイドル歌手・松田聖子の大ファンになり、裏声でそのマネをしたことが米良のカウンターテナーの原点となった。; 1984年 - 1987年: 中学時代も養護学校で学んだ。寄宿舎での生活は「寂しさを紛らわす為か、風呂場で詩吟を吟じた事があって、とても上手かった。」と当時の寮母長に回顧されているが、寄宿舎内に現存するオルガンを弾く事を勧められたことが、後の米良自身の歌の表現力の基礎になった。故郷を夢想しながら、これまで聞く事がなかったジャンルの歌に接することで刺激を受けて数年間を過ごす。; 1987年 - 1990年: 将来の進路について、音楽を人生の支えとすることを決意し、音楽大学進学を志す。父親は反対したが母親は賛成し、経済的余裕のない中で私立大学に通う資金援助を受けることとなった。また、養護学校の音楽教諭も無謀と言われたプログラムに熱心に取り組む。; 1990年: 努力の甲斐あって神奈川県の洗足学園音楽大学へ進学。在学中に、テノールから女声の音域を歌うカウンターテナー(男声アルト)に転向する。; 1994年: 大学を首席で卒業。5月、第8回古楽コンクール最高位を獲得。; 1995年: 奏楽堂日本歌曲コンクール3位入賞。; 1996年: キングレコードから発売されたCD『母の唄』がベストセラーになり、アニメーション監督・宮崎駿がラジオで放送された米良
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