大友康平(おおとも こうへい、1956年1月1日 - )は、日本のロックバンド「HOUND DOG」(ハウンド・ドッグ)のボーカル、タレント、俳優。直木賞作家の長部日出雄は母方の叔父にあたる。身長170cm、体重62kg。妻は元ファッションモデルの木下桂子。
来歴・人物:康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平からとられている。宮城県塩竈市生まれ。その後、青森県弘前市、千葉県松戸市と引越しを繰り返し、3歳の頃埼玉県入間郡越生町に移り、19歳で東北学院大学に入学するまで同地で過ごした。幼少時代から、街のカラオケ大会等で熱唱し、その片鱗を見せる。本格的に音楽を始めたのはグループサウンズ・ザ・タイガースが好きだった父の影響。一番衝撃を受けたのはキャロルである。高校は埼玉県立川越工業高等学校建築科へ行き、やんちゃしながらも、武者小路実篤等を愛読する読書家でもあった。その時の経験が後の活動の礎となる。東北学院大学経済学部を卒業。衆議院議員の郡和子とは、東北学院大学の同期生である。大学時代に同級生とお笑いコンビ「コント爆弾」を組み活動していた。ある日、コント中に小学生に石をぶつけられて逆上し、「おまえの親を呼んでこい」と迫った。この一件をきっかけにコンビを解散。社会科の教員免許状を持つ(教育実習のテーマは「江戸時代の農民と町人の暮らし」)。教育実習では仙台市立八軒中学校で教壇に立ったことがある。大学時代にサークルのメンバーらとHOUND DOGを結成し、1980年(昭和55年)にプロデビュー。1981年(昭和56年)にはロックンロールオリンピックを開催。バンドのリーダー及びフロントマンとして活動する一方で、俳優としての仕事も行っていた。1980年代後半、光GENJIや男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し、彼らを揶揄するような歌も作詞していたが、近年では、KAT-TUNや関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演している。学校側からの依頼を受け、台東区立桜橋中学校(2002年開校)の校歌「永遠の唄 Song of Forever」を作詞した。なお、作曲は当時HOUND DOGのメンバーだった八島順一が担当した。 野球とプロレスを愛好し、長嶋茂雄を敬愛している。
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