和泉 宏隆(いずみ ひろたか、1958年9月28日 - )は、日本のジャズ・フュージョンピアニスト。フュージョンバンドT-SQUAREの元キーボーディスト。来歴・人物東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。血液型はB型。在学中はジャズサークルライトミュージックソサエティに所属していた。同期生の神保彰が慶應義塾の広報誌で語った処では、当時の同バンドは上下関係が比較的厳しく、ある時に先輩のコンサートが行われているホールで楽器で遊んだ時に観客から喝采を受けたが、後で先輩に「おいイーボ、何をしてんだ」と(勝手に遊んだ事と喝采を受けた事を)咎められ、遂には和泉が居心地が悪くなって退部したという。1982年にフュージョンバンドTHE SQUARE(現T-SQUARE)にキーボーディストとして加入、アルバム『脚線美の誘惑』で本格的にレコードデビューを果たした(ちなみに、同時期にはフジテレビ「笑っていいとも!」内コーナー「私のメロディ」にてキーボードを担当していた)。1998年の退団まで16年間、ピアノ、シンセサイザー、作曲、編曲、ホーン・アレンジ、ストリングス・アレンジを担当、バンドサウンドの中核を担った。作曲面でもバンドに多大な影響を与えており、ブレイクのきっかけとなった「TRAVELERS」、スクェアの代表曲である「OMENS OF LOVE」、「宝島」、「EL MIRAGE」などは和泉の作曲によるもの。また、真島俊夫により吹奏楽譜にアレンジされた「OMENS OF LOVE」 や 「宝島」は今なお中高生の吹奏楽部や市民吹奏楽団を中心に演奏されている。バンド在籍中の1988年には、後にユニットを結成することになる鳥山雄司や神保彰らを迎えて初のソロアルバム『AMOSHE』を発表した。1997年には、初のピアノソロ・アルバム『FORGOTTEN SAGA』を発表。このピアノソロ・アルバムを転機としてアコースティックピアノの演奏に専念するようになり、翌年の歓送迎ライブ「FAREWELL&WELCOME」を以って退団。以後、2005年の『Hirotaka Izumi covers LOVE SONGS』までピアノソロ・アルバムの製作を続ける。その傍ら、2005年には学生時代からの音楽仲間であるギタリストの鳥山雄司、ドラマーの神保彰とユニット、ピラミッドを結成、秋には
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