江原 啓之(えはら ひろゆき、1964年(昭和39年)12月22日 - )は、作家、オペラ歌手(バリトン)。吉備国際大学短期大学部客員教授、九州保健福祉大学客員教授。一般財団法人日本スピリチュアリズム協会理事長、世界ヒーリング連盟元会員、関西二期会会員(省略)、英国スピリチュアリスト協会(SAGB)会員。東京都出身。妻と二人の息子がいる。血液型A型。来歴* 1964年(昭和39年)12月22日、東京都墨田区の下町で、薬品会社に勤めるサラリーマンの第2子として誕生。7歳上の姉を持つ。* 1968年、4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、母親を癌で亡くす。* 中学生時代はギター部に所属していた。* 技術職に就くことを目指し本郷高等学校デザイン科に進学。放課後はアマチュア合唱団の練習に参加。* 1981年、高校2年の時、姉が嫁に行き、一人暮らしを始める。* 和光大学人文学部芸術学科,p127)。彫刻や音楽を学ぶ。大学の近くに移住する。* 「18歳までは守られる」という生前の母の言葉通りに、18歳になった頃から心霊現象に悩まされ19歳で大学を退学する。* 2009年度から吉備国際大学短期大学部にて客員教授としてスピリチュアリズム授業を行っている。 思考の変遷とその契機警備員のアルバイトをする傍ら、心霊現象の解決のため何人もの霊能者を訪ねるも解決できず、 自殺まで考えるほど精神的にも金銭的にも追い詰められた中で、20人目に出会った日本心霊科学協会の講師・寺坂多枝子に信頼を置く。人格や波長を高く保ち善きカルマを積めば、低級霊は寄って来ないとアドバイスを受け、自分の力をコントロールするため修験道(真言密教系)の修業を始める。1年間寺で修業した後、高尾山での 2年間の滝行により憑依体質を克服。「日本心霊科学協会」の「精神統一協会」や寺坂の主催する「清玲会」に通い、妄想や心霊科学を学ぶ。滝行で知り合った男にプロの自称霊能者になる誘いを受ける。心霊相談の部屋を提供されるも、お金を一切もらえず、極貧の生活に追い込まれる。一攫千金を狙うための商品にされていることに気づき、夜逃げ同然に逃げ出す。「社会的に信頼されるようにきちんとした職業を持つべき」という寺坂の勧めに従いを得るため國學院大學の夜間部に入学。経済的に苦しかったため、夜間の授業を終えた
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