今 陽子(こん ようこ、1951年11月1日 - )は、愛知県知多郡横須賀町(現:東海市)出身の歌手、女優。所属事務所はホリプロ系列のパオ。本名、今津 陽子(いまづ ようこ)。身長166cm。経歴幼少期より洋楽に造詣を深める。1966年上京していずみたくに師事し、1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れず。1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのボーカリスト・ピンキーとして「恋の季節」が、240万枚という大ヒットとなった。翌年発売の「涙の季節」も続いてオリコン1位を獲得。主演として映画「恋の季節」(1969年、松竹)も製作された。1972年ピンキーとキラーズからソロに転向。近年は歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。1981年3月から1982年2月の間、ダンス、歌、英会話等の勉強のため、単身ニューヨークへ留学。ブロードウェイのミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受け、合格するが、ミュージカルそのものが上演されず、出演には至らず。2011年11月には、ジャズアルバム「Love Seasons〜恋の季節たち〜」を発表。2012年7月には旭ジャズまつりにも出演。近年Facebookを使用。「60歳からのフェイスブック」(マイナビ)という著書もある。エピソード*ピンキーとキラーズ以前のソロ時代、CMソングを歌っていた。(三共のルルなど)*ピンキーとキラーズ以前のソロ時代、フジテレビ系ドラマ「グー・チョキ・パー」に出ていた。当時デカベビーの愛称で親しまれていた。*映画「恋の季節」では主演としてクレジットとされているが、共演の奈美悦子のラブストーリーとして展開されており、ストーリー上の実質的主演は奈美。今は奈美の友人である歌手・ピンキーとしての出演。*徳光和夫が有名人の結婚式の司会を初めて務めたのは今の結婚式(1973年)である。*1973年に制定された太平洋クラブライオンズの球団歌『君こそライオンズ』の創唱者だった。一般公募による曲で、入選発表では歌唱指導も行い、球場内でも流されていたが、レコードとしては発売されず、更に翌1974年から西郷輝彦の歌唱のバージョンに切り替えられた(こちらはシングル盤として発売された)。主な出演
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