森 昌子(もり まさこ、1958年10月13日 - )は、日本のアイドル・演歌歌手・女優。本名、森田 昌子(もりた まさこ)。栃木県宇都宮市出身。宇都宮市立細谷小学校から御田小学校に移り卒業、港中学校(現:三田中学校)から小野学園女子高等学校に進学し、堀越高等学校に移り卒業。前夫は森進一。長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストである森田貴寛。次男はテレビ東京に勤務するサラリーマン、三男は森内寛樹。経歴* 父はフタバ食品の元社員。兼業農家。音楽好きで厳しく歌唱を教えられる。小学校4年生のとき東京に引っ越す。森昌子は、人見知りが激しく学校でいじめにあう。学校に行くふりして、学校に行かない日が多かった。* 1971年(昭和46年) 13歳で日本テレビ『スター誕生!』(1971年10月開始)に出場。初代グランドチャンピオンとなる。ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。「スター誕生」は、昌子本人が申し込んだのではなく、祖母が人見知りが激しい昌子に、歌なら昌子でも出来ると思い、激しい人見知りを克服するために昌子に内緒で申し込む。オーデション当日は、昌子に洋服を買ってあげそのついでだからと、オーデションで歌を歌わせる。**グランドチャンピオンになり、家に色々な芸能プロダクションが来て、森昌子を芸能界に勧誘する。父親は猛反対だったが 当時、昌子の家は貧しく体の弱い昌子の母が家で一生懸命に内職しているのを目の当たりにして、芸能界に入るとお金が稼げて母親を楽させてあげれるであろうと思い、昌子本人が父を説得して芸能界デビューする。ホリプロに決めたのも、学業と両立させてくれるからであった。* 1972年(昭和47年)7月1日、徳間音工から「せんせい」で歌手デビュー。翌年デビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。なお、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦(第24回)に初出場を果たしたのは森であり、15歳(当時女性最年少)での出場であった(1973年)。* 1973年(昭和48年)、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。* 1975年(昭和50年)、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。
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