1989年、大学生ジャーナリストとして地元のライフスタイル誌『25th Parallel』で音楽記事を執筆していたマリリン・マンソン(本名:ブライアン・ヒュー・ワーナー)を中心に、フロリダにてMARILYN MANSON & THE SPOOKY KIDSを結成。翌年に、初のデモテープを制作。92年、バンド名をMARILYN MANSONに改名。そして、NINE INCH NAILSのトレント・レズナーに認められ、トレント自身が創立した新レーベル『Nothing Records』に迎え入れられる。93年、トゥイギー・ラミレスがベーシストとして加入し、デビュー・アルバム「PORTRAIT OF AN AMERICAN FAMILY」をリリース。
95年には、サラ・リー・ルーカス(ds)の後任として、ジンジャー・フィッシュが加入。翌96年、2ndアルバム「ANTICHRIST SUPERSTAR」を発表し、全世界で700万枚を超えるセールスを記録する。だが、その制作中に、オリジナル・メンバーであったデイジー・バーコウィッツ(g)が脱退。97年には、東名阪のCLUB QUATTROツアーで初来日。98年、3rdアルバム「MECHAMICAL ANIMALS」をリリース。バンド史上初の全米No.1を獲得。時を同じくして、バンドはジョン・5(g)を新たに迎え入れる。99年4月20日、コロラド州のコロンバイン高校で銃乱射事件が発生。犯人2名が、MARILYN MANSONのファンで、その音楽や思想に影響を受けていたという中傷を受けたが、のちに2名はバンドのファンでなかったことが判明している。
そして、2000年に4thアルバム「HOLY WOOD (IN THE SHADOW OF THE VALLEY OF DEATH)」をリリースし、900万枚のセールスを全世界で記録。この作品と、「ANTICHRIST SUPERSTAR」、「MECHAMICAL ANIMALS」を含む3枚は、ロック・オペラ・コンセプト・アルバム三部作として、バンドのキャリアにおいて最重要な作品群と称される。01年、『SUMMER SONIC』のヘッドライナーとして来日。02年には、トゥイギーが脱退を表明。
03年、2枚目の全米No.1アルバムにして通算5作目「THE GOLDEN AGE OF GROTESQUE」を発表。このアルバムを最後に、ジョン・5が脱退。4年振りの6thアルバム「EAT ME, DRINK ME」をリリースしたのち、『LOUD PARK 07』出演のためヘッドライナーとして来日を果たす。そして08年に、トゥイギーの復帰がアナウンスされ、翌年の09年に、7thアルバム「THE HIGH END OF LOW」を発表。全米初登場4位を記録する。その後は、SLAYERとダブル・ヘッドラインを務めた『MAYHEM FESTIVAL』で全米をサーキットし、『V-ROCK FESTIVAL ‘09』にヘッドライナーとして出演するため来日している。
09年末、『Interscope Records』を離れる。そして、英国の『Cooking Vinyl』と新たに契約。また、2010年にトゥイギーがベーシストからギタリストに転向したため、トゥイギーのサイド・プロジェクトGOON MOONでベースを弾くフレッド・サブラン(b)が加入。ところが2011年2月、長年バンドを支えてきたジンジャー・フィッシュが脱退。ニュー・アルバムの制作を続けながらも、新ドラマーを探し、ジンジャーの後任としてジェイソン・サターを迎える。同年9月、ニュー・アルバムのタイトルが「BORN VILLAIN」であることと、このアルバムを表現するショート・フィルムを『Transformer』シリーズの主役を演じた俳優シャイア・ラブーフが監督として制作したことが、バンドのオフィシャル・サイトでアナウンスされる。
新たなラインナップとなったバンドは、2012年2月の『Soundwave Festival』に出演するオーストラリアン・ツアーから、「BORN VILLAIN」をサポートする『Hey Cruel World...Tour』をスタート。翌月には日本でもツアーを行ない、東名阪の各地で絶賛を浴びた。そして2012年4月、通算8作目「BORN VILLAIN」を世に送り出した。
2014年、バンドは通算9作目のスタジオ・アルバムを完成。2015年初頭にリリースする。
http://www.marilynmanson.com/