05.12 (Sun)
クランベリーズ (The Cranberries)は、アイルランドのロックバンド。
《来歴》
[歴史]
ノエルとマイクのホーガン兄弟とファーガル・ロウラーの3人を中心として1990年に結成。当時は cranberry sauce(クランベリー・ソース)をもじって The Cranberry Saw Us(クランベリー・ソー・アス)というバンド名だった。ボーカリストは友人の Niall Quinn だったがやがて脱退し、彼のガールフレンドのさらに友人のドロレス・オリオーダンがオーディションの末に加入する。彼女はメロディを渡されるとすぐに作詞の能力を発揮し、翌日に完成させて披露した。これが後に大ヒットとなる「リンガー」である。
デモ音源300本を制作して国内のレコード店で完売させるとすぐに「リンガー」「ドリームス」を含む新たなデモを制作開始し、バンド名をザ・クランベリーズと改名。この時に使用したゼリック・スタジオの経営者ピアース・ギルモアは後にクランベリーズのマネージャー/プロデューサーとなっている。デモはイギリスの各レコード会社に送られ、争奪戦の末にアイランド・レコードと契約することが決まる。
クランベリーズはプロデューサーのピアース・ギルモアと共にスタジオに入りシングル「Uncertain」を録音してゼリック・レコードから発売。しかしこの作品は失敗に終わり、バンドとギルモアの緊張は高まってしまう。さらにメジャーデビューを目前に控えてギルモアが自己所有のスタジオに関する密約をアイランド・レコードと交わしていたことが判明し、解雇する。バンドは新たにマネージャーとしてラフ・トレード・レコードのジェフ・トラヴィスを雇用、トラヴィスの紹介によりプロデューサーとしてステファン・ストリートを雇用することにした。
シングル「ドリームス」(1992年)、デビュー・アルバム『ドリームス - Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?』(1993 年)、シングル「リンガー」(1993年)と作品をリリースし、ドロレス・オリオーダンの天才的なヴォーカリゼーションにより英国を中心に話題となるが、後の世界的成功にはまだ届かない状態であった。しかし、バンドは挫けずにアメリカへ渡って9か月に渡るツアーをザ・ザやスウェードのサポートとして敢行。ツアーで徐々に評判を高めていくと、「リンガー」がMTVでヘヴィ・ローテーションされるようになってくる。これに後押しされるように「リンガー」はチャート8位、アルバム『ドリームス』はダブル・プラチナムに達する。ツアーを終えて地元リムリックに帰郷、イギリスでは年明けにチャートを昇りだし、夏に1位となった。
1994年元日にアルバム『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』を発表。アメリカで初登場6位、年内にトリプル・プラチ... More Biography
《来歴》
[歴史]
ノエルとマイクのホーガン兄弟とファーガル・ロウラーの3人を中心として1990年に結成。当時は cranberry sauce(クランベリー・ソース)をもじって The Cranberry Saw Us(クランベリー・ソー・アス)というバンド名だった。ボーカリストは友人の Niall Quinn だったがやがて脱退し、彼のガールフレンドのさらに友人のドロレス・オリオーダンがオーディションの末に加入する。彼女はメロディを渡されるとすぐに作詞の能力を発揮し、翌日に完成させて披露した。これが後に大ヒットとなる「リンガー」である。
デモ音源300本を制作して国内のレコード店で完売させるとすぐに「リンガー」「ドリームス」を含む新たなデモを制作開始し、バンド名をザ・クランベリーズと改名。この時に使用したゼリック・スタジオの経営者ピアース・ギルモアは後にクランベリーズのマネージャー/プロデューサーとなっている。デモはイギリスの各レコード会社に送られ、争奪戦の末にアイランド・レコードと契約することが決まる。
クランベリーズはプロデューサーのピアース・ギルモアと共にスタジオに入りシングル「Uncertain」を録音してゼリック・レコードから発売。しかしこの作品は失敗に終わり、バンドとギルモアの緊張は高まってしまう。さらにメジャーデビューを目前に控えてギルモアが自己所有のスタジオに関する密約をアイランド・レコードと交わしていたことが判明し、解雇する。バンドは新たにマネージャーとしてラフ・トレード・レコードのジェフ・トラヴィスを雇用、トラヴィスの紹介によりプロデューサーとしてステファン・ストリートを雇用することにした。
シングル「ドリームス」(1992年)、デビュー・アルバム『ドリームス - Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?』(1993 年)、シングル「リンガー」(1993年)と作品をリリースし、ドロレス・オリオーダンの天才的なヴォーカリゼーションにより英国を中心に話題となるが、後の世界的成功にはまだ届かない状態であった。しかし、バンドは挫けずにアメリカへ渡って9か月に渡るツアーをザ・ザやスウェードのサポートとして敢行。ツアーで徐々に評判を高めていくと、「リンガー」がMTVでヘヴィ・ローテーションされるようになってくる。これに後押しされるように「リンガー」はチャート8位、アルバム『ドリームス』はダブル・プラチナムに達する。ツアーを終えて地元リムリックに帰郷、イギリスでは年明けにチャートを昇りだし、夏に1位となった。
1994年元日にアルバム『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』を発表。アメリカで初登場6位、年内にトリプル・プラチ... More Biography