夏は短い。季節が過ぎ去り、今年の夏フェスの思い出を、既に懐かしく思い出している方も多いだろう。
様々な夏フェスが毎年開催されている中でも、一際のインパクトと規模を誇る音楽フェスティバル、それこそが「FUJIROCK MUSIC FESTIVAL」であるが、フジロックには「FUJIROCKERS.org」という公式ファンサイトが存在することを皆さんはご存知だろうか。
実は、このフジロック公式ファンサイト「FUJIROCKERS.org」には、フジロックと同じだけの歴史が秘められている。
前回、前々回に渡って、FUJIROCKERS.orgではどのような活動をしているのかを、現在の中心メンバーであるライター統括の丸山亮平さん、カメラマン統括の森良太さん、海外広報担当のローラさん、Web統括の坂上大介さんにインタビューしてきた。

▼前回までのインタビューはこちら▼
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】どんな活動をしてるの? 前編
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】どんな活動をしてるの? 後編


今回からは、FUJIROCKERS.orgを語る上で欠かせない人物であるFUJIROCKERS.org代表の花房浩一氏に、フジロックとFUJIROCKERS.orgについてを語っていただく。
FUJIROCK FESTIVALとFUJIROCKERS.orgは表裏一体の存在。そして、フジロックの大将が創始者であるSMASH代表・日高正博氏なら、FUJIROCKERS.orgのボス花房浩一氏。何を隠そうこの花房氏は、日高氏と双璧をなすフジロックの影の立役者なのだ!! 
グラストンバリー(グラストンベリー)、反核運動、政治と音楽、日本の音楽業界の遍歴、そしてあの事件…。
FUJIROCKERS.orgを語るには、まずフジロックの歴史を紐解くところから始めなければならない。


 

コミューナルでの日々、ジャーナリスト人生のスタート

俺の仕事は、基本的には物書きだね。
1980年、仕事も何もかも捨てて、ただ世界を見たくて日本を出た。とりあえず英語を勉強するためにイギリスに行ったんだけど、超ド貧乏で、ヒッチハイクとかで旅をして、イギリスのブライトンという街に辿り着いた。そこでまるでコミューンのようにいろんな国からの友人やその友人たちを寝泊まりさせている家族と知り合って、グラストンバリーって、面白い祭り、fair(fayre)があるから、行こうと誘われたんだよね。実際に会場に行ったら、物凄いカルチャーショックを受けた。「なにこれ! ウッドストックじゃん!」って。あの記録映画のサントラのジャケットに出ていたイメージそのままなんだもん。聞こえてくるのがジミヘンだったり。日本では当時、そんなフェスは考えられなかったので、そのインパクトは本当に大きかった。

ウッドストック Original recording remastered​

帰国後、職がないから東京で編集プロダクションをやってた友達のところに居候してたんだけど、俺が毎日グラストンバリーの話をしていたら、彼らに書くように勧められて書き始めた。それがジャーナリストとしての始まりであり、人生のターニングポイントだったんじゃないかな、と思うね。


photo http://www.glastonburyfestivals.co.uk/

1980年代に入り、NATOの中距離核ミサイル配備が決まって、限定核戦争が起こり得るという状況に直面し、全ヨーロッパでそれに反対する運動が起きた。当時、反核運動でハイドパークに40万人が集まり、俺もその中にいた。1981年のグラストンバリー フェスティバルの名前は、グラストンバリー ”CND” フェスティバルなんだけど、CNDってのは、campaign for nuclear disarmamentっていって、核武装を解除させるために50年代から続いている市民運動の団体なんだよね。グラストンバリー フェスティバルの主催者であるマイケル・イーヴィスって農夫のおじさんは、ちょうどその頃生まれた娘を核のある世界に住まわせたくないということで、グラストンバリー フェスティバルを復活させるのと同時にCNDとコンタクトを取って、収益を全額寄付することを条件に全面的な協力を要請し、グラストンバリー ”CND” フェスティバルが生まれたわけだけど、俺が行ったのは、1982年に開催された2回目のグラストンバリー ”CND” フェスティバルだった。正面から「反核」を打ち出して、1万5000人〜2万人が集まってくるようなイベントなんて「フェスティバルなんかあり得ない」「政治と音楽が絡むことなんてあり得ない」という時代にあった日本において、本当に衝撃だったし、これは伝えるべきだと思って筆をとるようになった。
当時、日本の音楽ジャーナリズムって、評論なんかは別にして、海外の音楽メディアの記事を翻訳しているだけのようなものだった。誰も実際に現場でなにが起きているのかを知らないわけ。バカじゃねえの、って思って、俺は実際に足を運んで、会って、書いて、写真も必要だから自分で撮って…とやってた。有名なミュージシャンに会ってインタビューして書くだけじゃなくて「誰も知らないこと、面白いことを伝える」というのをモットーにして活動してたら、テレビやラジオから出演の誘いが来るようになった。
 
 

花房氏、日高氏をグラストンバリー フェスティバルに連れていくの巻

なんでフジロックが生まれたかっていう理由の一つなんだけど、1984年、俺がいろいろ書いてたら、当時ロッキンオンという雑誌の営業をやっていた大久保君(フジロック、ジプシー・アヴァロンのNGOビレッジに関わっている)が、俺の書いてるものに影響を受けてコンタクトを取ってきた。あの頃、アートで反核を訴えるためのイベント「アトミックカフェ」が開催されていて、それを音楽でやらないか、と誘われた。それでアトミックカフェミュージックフェスティバルっていうのを一緒にやった。実は、その中心になっていたのがスマッシュの日高氏で、それがフジロックのルーツなんだよね。
1987年、いつも俺が話していたグラストンバリーに、日高氏が行ってみるかって気持ちになって、一緒に行ったんだよな。そこで日高氏はグラストンバリーを体験して、俺の想像だけど「すげ〜! やりて〜! …でも日本じゃ無理だ…」ってなったんだろうね。でも、そこから10年間、彼は実は、ロケーションを探していた。そして、97年、FUJIROCK FESTIVALの開催に至るわけです。ちなみに彼は、87年〜2002年までほぼ毎年グラストンバリーに行ってたね。


photo http://www.glastonburyfestivals.co.uk/

ライブでは立っちゃダメ!な国、日本

今の人たちに知っといて欲しいのは、1984年の日本は、ライブに行っても座っていなけりゃならなかったってこと。知らないでしょ? コンサートは鑑賞するものであって、音楽は座ってお行儀良く楽しまなきゃダメだっていうのが常識だったわけ。ステージ上では「来いよ〜!」って言ってんのにさ。でも、それがあの当時の当たり前だった。
ボブ・マーリーが中野サンプラザでライブをしたとき、あれは確かオーストラリア人だったかな? 一人の女の子が立ち上がって踊り出した。すると警備員がそれを止めようとしてダーッと駆けつけた。でもボブ・マーリーがそれに対して「やめろ〜! 踊れ〜!」って言ったんだよね。もっと凄かったのが、ザ・スペシャルズですよ。観客と警備員の間でかなりの混乱が発生して、ザ・スペシャルズ自体が「こんな状態で、やってられっか!」って言って、翌日の公演は中止になっちゃった。でも、急遽当日に会場を新宿のツバキハウスってとこに移してライブをやったんだよね。


Phot  https://www.facebook.com/BobMarley/

日高氏が面白かったのは「ライブで踊っちゃダメ」っていう、日本の慣習を変えようとしたところ。でも当時はそういう場所がなかったから、彼はボクシングの試合なんかをやってる後楽園ホールと交渉して、片方にステージ、もう片方には座席があって座ることができて、フロアでは踊ることができる、そういうライブ会場を作った。ステージを作っちゃうんだから当然めちゃくちゃお金がかかるわけよ。でもお客さんからしたら、それで初めてまともなライブが見れることになった。踊って良いんだよ。好きに聴いて良いんだよ、っていう今でこそ当たり前のことなんだけど、その当たり前のことがなされてなかった時代に、日高氏がやってきたことはそれを変えることだった。
 

「日高氏は日本の音楽業界を変えたんだよね」

あの頃の日本のプロモーターがやってることっていったら、どちらかと言えばブローカーみたいなものだった。海外で売れてるアーティストを呼んで高くチケット売れば良いじゃん、っていう、要するにプロモーションじゃないんだよね。そんな感じの日本の大手プロモーターによる独占市場状態だったから、SMASHが83年に設立されて、俺が日高氏と知り合って、一緒にロンドン、ニューヨーク、LAなんかにブッキンブエージェントを訪ねていったことがあってね。当初は「お前ら誰だ、 何しに来た?」って対応をされてた。
でも、日高氏が「イアン・デューリー & ザ ブロックヘッズをやりたい」って言ったら「お前らあいつらのレコードが日本で何枚売れてるか知ってんの? たったの1000枚だよ。そんなに売れてないバンドやるの?」ってびっくりされて、でも日高氏は「だって、良いバンドじゃん。絶対あいつらを日本人にもっと聴かせるべきだし、やらなきゃ」って。そしたら彼らの態度がガラリと変わった。変な奴がいる、面白いからやらせてみよう、って。
あの当時、イアン・デューリーもエルビス・コステロもマイナーだった。日高氏は、そういうまだマイナーでも実力のあるアーティストを知らしめていくという、プロモーター本来の仕事を始めたんだけど、その中で「アーティストの魅力を充分にオーディエンスに伝えるためには、どのようにしなければならないか」と会場のことなども考えるようになった。実を言うと、その延長線上にフジロックがあったんだよね。
 

フジロック胎動期、従来の日本の音楽業界のやり方に抗おうとする花房氏と日高氏。
どうなる、フジロック!? 次回、いよいよフジロックカルチャーの幕が切って落とされる。乞うご期待!

Interview by きのや
 

フジロッカーズ・バー、やってるよ!

コンセプトは「Let's Get Together & Have Fun」!
不定期開催、下北沢の開催されるフジロッカーのためのイベント。
初心者大歓迎!音楽とお酒、そして楽しい音楽仲間との出会いとお喋りを楽しみたい方はぜひどうぞ!
FUJIROCKERS.orgのボス、花房氏にも会えちゃうかも!?

開催日時:不定期開催、19:30 - 23:00
※詳細日時はFacebookのFujirockersページにてご確認下さい。
開催場所:下北沢 メンフィス兄弟
料金:ファーストドリンクが1000円(あとはメニュー通りの金額です)

Facebook
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