05.12 (Sun)
90年代に、ティンバーランドブーツにカモフラといったHIPHOPスタイルを確立した一人でもあり、Black MoonのバックDJ兼プロデュサーとして、HIPHOPクラシックアルバムの1枚として金字塔を打ち立てた、”Enta Da Stage”をリリースした事によりその名前が一気に広がっていったEvil Dee。
Brooklynネイティブである、本名Ewart Dewgardeのおよそ30年以上にわたるキャリアの成功のスタートは、ピアニストでもあった彼の母親からの影響によるものだと言う。幼い頃には既にピアノをマスターした彼は、音楽に対する欲求がさらに深まっていき、バイオリン、ギター、ベース、オルガン、ドラムといった楽器を勉強した後、7歳にしてターンテーブルに向き合う事となった。彼の実兄であり、既にDJキャリアをスタートしていたMr. Waltに対抗してDJをスタートさせたEvil Deeは、すぐにその才能を伸ばしていき、高校生の頃にはカレッジラジオにゲストDJとして、または番組のサブホストとして呼ばれる事もあり、毎週カレッジに忍び込んだ結果、本格的にDJとしてのキャリアをスタートさせて行く事となる。
DJとして円熟が増したEvil Deeは、DJよりもプロデューシングに情熱を注いでいた兄とタッグを組むようになる。それはごく自然な流れであった。当時は2つのテープデッキを使用して、兄の莫大なレコードコレクションからビートを作成していった。「ビート作りは必然的だったんだよ。もしキミがDJであるなら、それは自動的にプロデューサーさ。もしキミがスクラッチしたり、ビートに強弱つけたりすると、それはビートを作っていると言ってもいいね」とEvil Deeは言う。
80年代後半は、ひたすら仕事に没頭し、各地のパーティーにブッキングされ、カレッジラジオや東京のラジオステーションでもプレイし、またDJだけではなくプロデューサーとしても彼の名前を広げていった。DJキャリアを始めてから約10年後、彼は新たな場所を見つける事となる。HIPHOPの伝説的グループ、Black Moonの立ち上げメンバーとしてグループに参加するようとなった。1992年、この偉大なグループの成功の為、一切のラジオ番組の出演を断り、その変わりにラッパーでもありチームメイトでもある5FTとBuckshotを引き連れ、Nervous Recordsとの契約を漕ぎ着けた。その後、共にグループのほとんどの楽曲を手がけ、後にビジネスパートナーにもなった兄のMr. WaltとDa Beatminerz Inc.を立ち上げた。
“Enta Da Stage”でのプロダクションワークの成功により、彼らのプロデューサーとしての地位は確固たるものとなっていき、Smif & Wessunのクラシックアルバム、「Dah... More Biography
Brooklynネイティブである、本名Ewart Dewgardeのおよそ30年以上にわたるキャリアの成功のスタートは、ピアニストでもあった彼の母親からの影響によるものだと言う。幼い頃には既にピアノをマスターした彼は、音楽に対する欲求がさらに深まっていき、バイオリン、ギター、ベース、オルガン、ドラムといった楽器を勉強した後、7歳にしてターンテーブルに向き合う事となった。彼の実兄であり、既にDJキャリアをスタートしていたMr. Waltに対抗してDJをスタートさせたEvil Deeは、すぐにその才能を伸ばしていき、高校生の頃にはカレッジラジオにゲストDJとして、または番組のサブホストとして呼ばれる事もあり、毎週カレッジに忍び込んだ結果、本格的にDJとしてのキャリアをスタートさせて行く事となる。
DJとして円熟が増したEvil Deeは、DJよりもプロデューシングに情熱を注いでいた兄とタッグを組むようになる。それはごく自然な流れであった。当時は2つのテープデッキを使用して、兄の莫大なレコードコレクションからビートを作成していった。「ビート作りは必然的だったんだよ。もしキミがDJであるなら、それは自動的にプロデューサーさ。もしキミがスクラッチしたり、ビートに強弱つけたりすると、それはビートを作っていると言ってもいいね」とEvil Deeは言う。
80年代後半は、ひたすら仕事に没頭し、各地のパーティーにブッキングされ、カレッジラジオや東京のラジオステーションでもプレイし、またDJだけではなくプロデューサーとしても彼の名前を広げていった。DJキャリアを始めてから約10年後、彼は新たな場所を見つける事となる。HIPHOPの伝説的グループ、Black Moonの立ち上げメンバーとしてグループに参加するようとなった。1992年、この偉大なグループの成功の為、一切のラジオ番組の出演を断り、その変わりにラッパーでもありチームメイトでもある5FTとBuckshotを引き連れ、Nervous Recordsとの契約を漕ぎ着けた。その後、共にグループのほとんどの楽曲を手がけ、後にビジネスパートナーにもなった兄のMr. WaltとDa Beatminerz Inc.を立ち上げた。
“Enta Da Stage”でのプロダクションワークの成功により、彼らのプロデューサーとしての地位は確固たるものとなっていき、Smif & Wessunのクラシックアルバム、「Dah... More Biography