HIROTHAJAP 鉄砲と飛行機が大好きなHirothajapは10年近くにわたり米国ニューヨーク市に居住し、その独特な感性溢れるスタイルから数々のメディアにフューチャーされ,現地の若者ストリートファッション界ではカリスマ的な存在となった。著名アーティストやそのダンサーなどのスタイリングをこなす中、MIAの"KALA"全米アルバムリリースツアーのスタイリングに参加、そこで彼女のプロデューサーであるDiploと巡りあう。当時立ち上げ中であったレーベルMaddecentのインターンに抜擢されたHIRO THA JAPは、Diplo氏よりターンテーブルやSeratoの使い方からすべてを学び、次第に地元のニューヨークでDJとしての活動を始めていく。 デビューは今はなきNYクラブシーンの著名クラブ Le Royalである。Roxy Cottontail他同世代のカッティングエッジな現地プロモーター達と活動を続ける中、Anton Glamb, SKITSNYGG と共に、3人のDJ, 5組のバンドからなるアーティストコレクティブ RADICAL OUTING! NYCを結成、Diploゆずりの技術となによりDJとしてのメンタル、Maddecentの立ち上げで培われた経験をフルにいかし、HipHopへの固着により、音楽的にはEDMに乗り遅れた感のあった当時(2007)のニューヨークにおいて、神話的に語られるほどのクルーに成長した。ハイプビーストなマンハッタンを嫌い、ブルックリンはウィリアムスバーグ周辺に活動の本拠を置き、巨大倉庫を貸し切り最先端のアーティスト達と時に数千の観客が一体になり汗だくでプレイするギグ、RADICAL OUTING!は、ニューヨークにおける Wearhouseシーンの創始者として君臨した。 ニューヨークの著名音楽祭であるCMJにも毎年参加、ブルックリンのシーン代表としてBEMFと連携、大規模なイベントを毎年主催している。アングラからメジャーアーティストまで、共演者は数え切れない。EDMを主幹としながらも、ジャンル、人種的志向に全くとらわれず純粋に楽しい音を提供し続けた。ブルックリンカルチャーの血管、地下鉄Lラインを冠するL MagazineはRADICAL OUTING!を「NYC's premium party crew」と絶賛。アルコールとエナジードリンクのハイブリッド飲料FOUR LOKOをクルーオフィシャルドリンクとし、「未成年の夜遊びと飲酒を促している」として、ニューヨーク市長 M.Bloomsburg自らから名指しで批判されたことすらある。HIRO THA JAP は SWEDISH HOUSE MAFIA "Antidote" 他、全世界規模に放映されたミュージックビデオにもDJとして出演しているが、本人はメディア露出や宣伝広...
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