03.01 (Fri)
大澤 誉志幸(おおさわ よしゆき、1957年(昭和32年)10月3日- )は、日本の歌手、作曲家、音楽プロデューサー。本名同じ。東京都杉並区高円寺出身。駒澤大学卒業。身長170cm。血液型AB型。1999年(平成11年)迄は大沢誉志幸(読みは同じ)名義で活動していた。2歳違いの兄が一人居る。経歴中学生の頃から兄がグループサウンズを聴いていた事から音楽に興味を持ち、ボブ・ディラン、オーティス・レディングなどを聴き始め、高校の学園祭でバンドを結成して音楽活動を始める。駒澤大学在学中、初期はブルーグラスをやっていたが、のちにR&Bに傾倒。大学3年の1978年(昭和53年)にロックバンド「クラウディ・スカイ」を結成(大沢はボーカル、ギター担当)。卒業後の1981年(昭和56年)4月にビクターからレコード・デビューするが、ヒット曲を出す事も出来ずバンドの方向性を巡って他のバンドメンバーとトラブルになった事から、アルバム1枚(『明日はきっとハレルヤ』)とシングル2枚(「悲しきコケコッコ」「私は蝉になりたい」)を残すのみで同年末に解散。バンド解散直後の1982年1月、大沢は印税を前借りしてその金で単身渡米する。ニューヨークのクリストファー・ストリート近辺のロフトで約1年間過ごし、他のアーティスト(特にアイドル歌謡曲)へのプロデュース及び楽曲提供の傍ら、ジャズクラブや美術館に入り浸る日々を送っていた。帰国後、エピックのディレクターに才能を見出され、ミュージシャン契約を結び、当時のロック・ミュージシャンとしてはかなり珍しいタイプで「アイドルへの積極的楽曲提供とプロデュース」で一躍売れっ子作曲家として注目を浴びる。楽曲提供活動と並行しながらソロ活動を始め、1983年(昭和58年)6月22日に「大沢誉志幸」名義でシングル「彼女には判らない」、アルバム『まずいリズムでベルが鳴る』でソロデビュー。ハスキーなボーカル、R&Bを巧みに取り入れたスタイリッシュなロックサウンドが特徴で、特に初期の楽曲はロックサウンドを全面に打ち出した楽曲が多い。1980年代は作詞家の銀色夏生とタッグを組み、「そして僕は途方に暮れる」「恋にjust can't wait」「ゴーゴーヘブン」などのシングルヒット、アルバム『Serious Barbarian』のシリーズ三部作やオムニバスアルバム『Dance
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