01.26 (Fri)
“TACAO”から始まった10年目の正直
smorgasのインディーズ時代の楽曲「TACAO」はアイニのもう1つの原点だった。
当時の制作スタイルは、バンドでありながらドラムをMPCにサンプリングし、それに詞を乗せて生ギターや生ベースを重ねループを組み、さらにサンプラーでアタックをつける方法だった。それは現在のエレクトロックの手法に通ずるものがあった。
もともとバンドのMCでありながらDJ SHADOWやFatboy Slimに強い影響を受け、活動の場もライブハウスよりもクラブに求めた。
バンド活動が軌道に乗ってくるとライブハウスでの活動も増え、さらにフェスへの出演へと、活動の範囲が自然と広がっていき、バンド活動中心の日々を送る。
smorgasは“絶叫ブレイクビーツバンド”といううたい文句でリリースしていたが、そのブレイビーツへの表現を、よりバンドという形態にとらわれることなく楽曲制作したいとの思いで1999年にDATASPEAKERを始動。
アイニは当時からドラムンベース、ハウス、ヒップホップはBPMに関係なく、全て「ブレイクビーツ」のおもしろさで成り立っているという独自の解釈で、ジャンルの垣根なくMIXすることを自然に行っていた。だからこそsmorgasは真のミクスチャーバンドであり、他バンドからの支持も多く、その中にはDragon Ash、10-FEET、ストレイテナー等錚々たるバンドがあり、交流をし続けてきた。
2008年2月にsmorgas活動休止後、99年よりスタートし10年目となる来年に向け、DATASPEAKERの活動を再開。smorgasの活動時に成し得なかったアイディアを存分に発揮し、時代をサンプリングしてブレイクビーツに乗せ続けていく。
来年10周年を迎えるにあたり、集大成ではなく新たなる試みと共にkj(Dragon Ash)をフューチャリングしたElectoroな新曲を発表。... More Biography
smorgasのインディーズ時代の楽曲「TACAO」はアイニのもう1つの原点だった。
当時の制作スタイルは、バンドでありながらドラムをMPCにサンプリングし、それに詞を乗せて生ギターや生ベースを重ねループを組み、さらにサンプラーでアタックをつける方法だった。それは現在のエレクトロックの手法に通ずるものがあった。
もともとバンドのMCでありながらDJ SHADOWやFatboy Slimに強い影響を受け、活動の場もライブハウスよりもクラブに求めた。
バンド活動が軌道に乗ってくるとライブハウスでの活動も増え、さらにフェスへの出演へと、活動の範囲が自然と広がっていき、バンド活動中心の日々を送る。
smorgasは“絶叫ブレイクビーツバンド”といううたい文句でリリースしていたが、そのブレイビーツへの表現を、よりバンドという形態にとらわれることなく楽曲制作したいとの思いで1999年にDATASPEAKERを始動。
アイニは当時からドラムンベース、ハウス、ヒップホップはBPMに関係なく、全て「ブレイクビーツ」のおもしろさで成り立っているという独自の解釈で、ジャンルの垣根なくMIXすることを自然に行っていた。だからこそsmorgasは真のミクスチャーバンドであり、他バンドからの支持も多く、その中にはDragon Ash、10-FEET、ストレイテナー等錚々たるバンドがあり、交流をし続けてきた。
2008年2月にsmorgas活動休止後、99年よりスタートし10年目となる来年に向け、DATASPEAKERの活動を再開。smorgasの活動時に成し得なかったアイディアを存分に発揮し、時代をサンプリングしてブレイクビーツに乗せ続けていく。
来年10周年を迎えるにあたり、集大成ではなく新たなる試みと共にkj(Dragon Ash)をフューチャリングしたElectoroな新曲を発表。... More Biography