Mon, 11 Dec 2023
ロンドンの奇才アーティスト、ノーティ・ボーイとのコラボによるキャッチーな世界的スマッシュヒット曲「ラ・ラ・ラ」が今年シングルチャートの1位になった時、サム・スミスはその成功を喜ぶというよりも、安心したと言う。「ちょっとしたプレゼントをもらったような感じだったよ」とサムは言う。「もう1位は取ったので、プレッシャーを感じなくなった。もちろん曲は売れて欲しいけど、それよりも芸術的な主張をしたいんだ。今は自己中に自分のことだけに集中している。リストに“済”のチェックマークを付けた感じかな。ある意味ステキな、素晴らしい経験だったよ。でもこれで今は他のことに集中できる。」
サムがツアー中、胸を引き裂くような悲しげなバラード「Lay Me Down」で中規模ホールの客を泣かせる所を見た人なら誰でも、彼のより本質的な芸術性と大衆市場に対する特異なポテンシャルを感じ取るだろう。大柄な体格を持つサムは、穏やかな語り口と謙虚な言い回しで音楽的に表現する青年だ。「僕は話すのと同じように曲を書くんだ」と語るサム。1992年ケンブリッジシャー州の小さな衛星都市リントンに生まれる。母は金融業界に大きな波を巻き起こした人物だ。父親が主夫としてサムと二人の妹の面倒をみたという。母親についてサムはこう語る。「すごい人だよ。幼い頃から身近に強い女性がそばにいたんだ。僕の大おばは女性初の銀行家の一人なんだ。父が弱い男だったわけじゃないけど、うちは常に女性が主導権を握っていたね。この高いエストロゲンレベルが、僕の音楽への愛に一役買っているんだ。」
サムの家庭はソウル・ミュージックで溢れていたという。幼いサムはパワフルな女性ボーカリストの曲で鋭い聴覚を発達させていった。心を動かされた最初のアルバムとして覚えているのは、ホイットニー・ヒューストンの「マイ・ライブ・イズ・ユア・ラブ」。ホイットニーが大麻スキャンダルのあとに復活を期して制作した都会的作品だ。サムが8歳になる頃には、両親は息子がチャカ・カーンのような感情豊かな表現法と豊かな才能を持つことに気付き始めていた。サムが初めて理解した曲のひとつに、アレサ・フランクリンの『小さな願い(原題:Say A Little Prayer)』がある。「女性... More Biography