02.17 (Sat)
ビリー・バンバン(Billy BanBan)は、日本の音楽グループ。菅原孝、進の兄弟二人によるフォークデュオ。ハブ・マーシー所属。メンバー*兄:菅原 孝(すがわら・たかし、1944年8月7日 - ):ボーカル・コントラバス担当。東京都国立市出身、慶應義塾大学卒業。*弟:菅原 進(すがわら・すすむ、1947年9月21日 - ):ボーカル・ギター担当。東京都国立市出身、青山学院大学卒業。特色として、兄弟デュオであるが、弁舌さわやかな兄の孝と、口下手な弟の進という対照的な二人のコンビとなっている。歴史デビューから解散まで1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でキングレコード(SEVEN SEAS)よりメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。この曲は当初「星空のハプニング」のB面曲として発表される予定であったが、ニッポン放送の井村文彦ディレクターのアドバイスにより、発表直前にA面とB面が入れ替えられたというエピソードがある。レコーディングで曲の冒頭にトランペットが勝手に入れてあり、これに怒った進がスタッフに抗議したという話がある。一方の孝は、与えられた曲を歌えばいいという考えで特に何も言わず、進のフォローに回ることが多かった。その後人気は低迷してしまうが1972年、テレビドラマ『三丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。当時のフォークシンガーは、自分の手で作詞、作曲をし、それを歌う物という風潮が強く、石坂浩二作詞、坂田晃一作曲の曲に対して進は躊躇しレコーディングを当日にすっぽかしたという逸話が残っている(後に進は本当はいい曲だったと語っている)この頃から、お互いの考え方に違いが生じ始め、1976年に解散、孝は司会者として、進は歌手として、作曲家として己の道を行くこととなる。
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