02.17 (Sat)
水木 一郎(みずき いちろう、本名:早川 俊夫(はやかわ としお)、1948年1月7日 - )は、日本の男性アニメソング歌手、作詞家、作曲家、声優、俳優。東京都世田谷区出身。身長170cm。血液型O型。イエローバード所属。アニメソング界の帝王と呼ばれるほか、アニキ(ANIKI)の愛称でも親しまれ、自分の持ち歌を「ANIKING」ヴァージョンとして再録音することもある。また、「松本茂之」「山本一郎」「早川としお」「たつきよういちろう」「ミズキング」名義でも歌唱している。世田谷学園高等学校卒業。現在は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の近くに在住。来歴歌手になるまで実家がレコード店を経営していたため音楽環境には恵まれ、幼少期からジャズなどを聴いていた。特にアメリカの音楽には強い影響を受けていたという。だが本人は当初「どうせ日本人なんだから落語でもやるか」ということで落語家を目指し、学生時代には「落語会」を開いていた。『徹子の部屋』に出演したとき、落語をする際「水中亭ゲンゴロウ」と名乗っていたことで黒柳徹子を笑わせたうえ、著名な落語家に電話で弟子入りを頼んだこともあると語っていた。記憶は定かでないとのことだが、弟子入りを頼んだのはおそらく柳家小さんで、水木が自分は高校生だと告げると「卒業してからにしなさい」と言われたそうである。しかし、のちに地元歌手の活動に影響を受けて歌手の道を志すようになり、老人ホームでギターを奏でながら歌を聴かせるなどの活動をしながら歌の勉強を続けた。ACB会館(当時新宿区歌舞伎町に存在した総合娯楽遊興施設。1960年代半ば〜1970年代初頭の人気絶頂期にはジャズ喫茶のニューACBやゴーゴークラブなどを備えていた)で催されたコンクールでの優勝が本格デビューのきっかけとなる。作曲家和田香苗の門下生となり、1968年に歌謡歌手として『君にささげる僕の歌』でレコードデビューするものの、売り上げが芳しくなかったことやマネージャーとの不仲も災いして一時歌手を退く。『徹子の部屋』に最初の出演をした際語ったところによると、同じレコード会社(日本コロムビア)の先輩歌手で万城目正門下の九条万里子(本名は早川安貴子)と結婚することになったため、新人の水木が身を引いたという。その後、生活のためナイトクラブやキャバレーで歌い始める。
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