02.17 (Sat)
大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月20日 - )は、日本の歌手。愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。
1953年、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。
1955年7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。
「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地がビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田は大津を指導することになる。
1956年、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒット。ハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で今日まで愛唱されている。
NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細は下記参照)。
1969年、実業家と結婚。
1980年、脳動脈破裂(くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。
1995年から1997年まで社団法人日本歌手協会副会長に選出。
2005年、歌手生活50周年を迎え、記念のBOXセット「大津美子大全集」を発売。「ここに幸あり」「東京は恋人」などの往年のヒット曲をオーケストラとの共演で新録音している。
2012年10月12日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演(司会は女優の倍賞千恵子)。
同2012年12月31日、「第45回年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京)に出演。
現在でも、そのダイナミックなアルトの歌声は健在で、新曲発売や公演、テレビ出演など精力的に活動を続けている。続きは、ウィキペディアで。... More Biography
1953年、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。
1955年7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。
「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地がビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田は大津を指導することになる。
1956年、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒット。ハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で今日まで愛唱されている。
NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細は下記参照)。
1969年、実業家と結婚。
1980年、脳動脈破裂(くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。
1995年から1997年まで社団法人日本歌手協会副会長に選出。
2005年、歌手生活50周年を迎え、記念のBOXセット「大津美子大全集」を発売。「ここに幸あり」「東京は恋人」などの往年のヒット曲をオーケストラとの共演で新録音している。
2012年10月12日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演(司会は女優の倍賞千恵子)。
同2012年12月31日、「第45回年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京)に出演。
現在でも、そのダイナミックなアルトの歌声は健在で、新曲発売や公演、テレビ出演など精力的に活動を続けている。続きは、ウィキペディアで。... More Biography