03.01 (Fri)
井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )は、日本の歌手、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身。人物出生名は井上 陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。ただし本人はこの名前を嫌っているようであり、本名を「いのうえ ようすい」で通している。1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引した。1973年発売のアルバム『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けている。デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、長女は作詞家・歌手の依布サラサである。経歴生い立ち福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)生まれ。父は高知県幡多郡佐賀町出身の元軍医であり、当時赴任していた京城(現在のソウル)で母と知り合い結婚している。終戦に伴い、母が地元の福岡県直方市に帰郷。追って父が引き揚げて、以降福岡に定住。父は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく福岡県田川郡糸田町で歯科医を開業。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいねと褒められる少年だった。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれるほどになり、数人の仲間と一日中歌いまくり、
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