1981年9月4日、マシュー・ノウルズとティナの間に、長女として生まれる。テキサス州ヒューストン出身。フランス系クレオール人の祖先を持つティナは、フランス系の名を付けた。子供の頃はとてもシャイだったが、学校の授業でステージに立ったときに、母親でさえ『あの子は私の娘かしら?』と思うくらい、物怖じしないステージ上の人格(サーシャと命名)を発揮していた、天性のエンターテイナー。
BEYONCÉ(発音は異なる)はティナの旧姓でもあった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、教会の聖歌隊員。やがて名実ともに世界のトップに君臨するガールズ・グループ、デスティニーズ・チャイルドを結成。同グループのリード・ヴォーカルであり、音楽的にもビジネス面でもイニシアティヴを取っているビヨンセ・ノウルズ。02年7月、ビヨンセの初ソロ・シングル「ワーク・イット・アウト」をリリース。この曲は彼女が女優デビュー(ヒロイン)を飾った映画『オースティン・パワーズ3』の主題歌で、印象的なシンセ・フレーズにホーンが絡むというヘヴィー・ボトムなファンク・チューン。そして、03年6月には待望のデビュー・アルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』をリリース。ほぼ全曲の作詞・作曲・プロデュースを彼女自身が手がけ、フィーチャリング・アーティストも公私とものパートナーであるJAY-Zを筆頭に、ミッシー・エリオット、ショーン・ポール、ルーサー・ヴァンドロス…と超豪華なラインナップ。デスチャで見せるパワフルさとは趣を異に、優雅さに満ちたようなファンキー・ソウル・アルバムとなった。セールスにおいても当然のごとくプラティナムを獲得。第46回グラミー賞で5部門受賞の快挙を達成。俄かに囁かれていた“カリスマ”という呼び声を確実なものにした。
そして06年自身の誕生日9月4日に待望の2 ndアルバム『B’DAY』をリリース。先行シングル「デ・ジャ・ヴ」、2ndシングル「リング・ジ・アラーム」は全米大ヒットし、グラミー賞にノミネーション。3rdシングル「イレプレイスブル」はビヨンセ史上最高の全米チャート10週連続1位を樹立する特大ヒット!そして06年12月25日には主演映画『ドリームガールズ』が全米で公開。ゴールデングローブ賞とアカデミー賞に堂々ノミネーションされ、世界中で話題を席捲。女優としても確固たる地位を築き、同映画の主題歌「リッスン」もアカデミー賞歌曲賞にノミネーション、歌手/女優としてトップ・エンタテイナーぶり存分に発揮した。その後、07年4月、日本/東京ドームを皮切りにワールドツアーを敢行、大成功を収めた。
08年11月にはバラード中心のディスク1「アイ・アム」、アップテンポ中心のディスク2「サーシャ・フィアース」の2枚組コンセプト・アルバムの形をとった意欲作『アイ・アム... サーシャ・フィアース』を発売。先行シングルの「シングル・レディース(プット・ア・リング・オン・イット)」は全米チャート4週1位、R&Bシングル・チャート12週連続1位の特大ヒットとなり、アルバムも初動約50万枚で見事3作連続となる全米アルバム・チャート1位を獲得!リリース後も主演映画『キャデラック・レコーズ』全米公開、オバマ大統領就任式のトリを飾るパフォーマンス、大統領夫妻ファースト・ダンスの曲を歌い、アカデミー賞でもミュージカル・ナンバーを披露する等、全米トップ・エンターテイナーとして大活躍!アルバムは4ヶ月以上も全米トップ10内をキープし、ロング・ヒットとなっている。
09年は主演映画『オブセッスド』が4月全米公開予定のほか、3月26日カナダ、エドモントンから待望のワールド・ツアーをスタート!カナダ、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア、ラテン・アメリカを回る、1年近くに及ぶ長期ツアーで、もちろん日本にも登場予定!コスチューム・デザイナーにティエリー・ミュグレーを迎えた、華麗なステージになること間違いなし!デスチャとして1億枚以上のセールスを記録、ソロとしてもなお全米ナンバー1ソングを多数輩出し、3000万枚を越えるセールスを上げ、史上最強のヒロイン、ビヨンセはなおも輝き続ける!
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