PhiladelphiaのDJ /プロデューサー。1990年代から2008年に至るまで、エクスペリメンタル・エレクトリック・ダンス・ミュージックの最高峰に位置し続けるアーティスト。
Philadelphiaの独特な芸術や音楽に積極的に触れるように教育されたJosh Wink。Depeche ModeからRun DMCまで幅広いジャンルの音楽にさらされ、常に新しい物を受け入れる柔軟的な感性が育まれた。
13歳の時移動DJサービスをして働き、業界の基礎を学び、すぐに Philadelphiaの小さいパーティーで回し始めるようになった。
1990年に同じPhiladelphia出身でラップやアシッド・ジャズに興味を持つKing Brittと意気投合し、New Yorkにあるインディー・レーベルStrictly RhythmよりE-Culture名義で'Tribal Confusion'を共同リリースした。このレコードは想像以上にヒットし、これをきっかけに2人は世界的に注目を浴びるようになる。
1994年パートナーの King BrittとインディーレーベルのOvum Recordsを立ち上げ、後にカルト・クラシックとも言われるようにもなった'Liquid Summer'を発表。その後もベルギーのR&SやイギリスのXLなどからシングルをリリースをしたり、Mobyなどのリミックスをも手がけ、意欲的に活動を続ける。またその頃から世界中の一流クラブからDJのオファーが舞い込むようになり、彼の名声はますます高まる。
そしてJosh Winkは1995年にヨーロッパで立て続けにヒットを飛ばし、ダンスミュージックシーンに新風を吹き込んだ。まず,ミニマルなビートのテクノに笑い声のサンプルを載せた'Don't Laugh'をWinx名義でNervousから発表。誰でも知っている有名なこの作品は、まさに神がかった名曲で、世界中で売り上げがなんと 500,000枚にも及んだ。
続いてSize 9というアーティスト名で'I'm Ready'をVirgin Undergroundからリリース。ハウスをHip Hopのブレークダウンとブレンドした初めての作品として話題を集め、Billboardのダンス・チャートで1位を獲得。そして'Higher State Of Consciousness' は、ヨーロッパのあらゆるチャートで1位になり、UKのメディアでも'Single Of The Year'に選ばれた。このようにこの年彼は、作った曲をあらゆるチャートに連続してたたき込み、トップ・アーティストとしての地位を確固たる物にした。すなわち弱冠25歳にして世界のTopの地位を築いた。
しかしJoshは自分の人気を利用するのではなく、DJとしての活動を控え、1996年の1年はOvum RecordingsのRuffhouse/ Columbia Recordsとの契約に専念した。またその年、過去のヒット曲を満載した初のフルアルバム'Left Above The Clouds'をインディー・レーベルのNervousから発表。ドラムン・ベースからエレクトロまで幅広い音楽のブレンドに、叙情的な歌詞をちりばめたこのアルバムは、「音楽バイブル」Mix Magからも絶賛され、世界中で話題を集め、日本盤も発売された。
彼の礎を築いた90年代から、新世紀が訪れても勢いはとどまる事を知らず、Ovumレーベルから、積極的に新しいアーティストをリリースし続け、世界のアーティストから、クラウドから確信の置けるレーベルへと成長、自身も相変わらず世界を飛び回り、そのDJプレイで毎週末、クラブを賑わす。そして 2008年8月には…待望のニューアルバムがリリースされる。