ダンスミュージックファンばかりではなく、音楽好きなら誰もが知るビッグネーム Fatboy Slim(ファットボーイ・スリム)。90年代以降、彼はテイストメーカー、パイオニアとして常にダンスミュージックシーンのトップを走り続けてきたアーティストである。数々の世界的ヒットを世に送り出してきた彼が、シーンがどのように変化してきたのかを、ここ最近の We Rave You とのインタビューで語っているのでそれをご紹介したい。
 
Q:1998年に開催された音楽フェス「Creamfields」第一回目に出演して以来、現在に至るまでで最も大きな違いとは?

正直に言うと、大きな変化はない。同じ人たちが同じように愛情を注いで運営している。そして、世代は違っても同じような人たちがよくここに来ている。僕がここ(Cleamfealds)を気に入っているのは、全員が DJ で、全員がダンスミュージック好きであるため、角が立っていないことだ。家族であり、コミュニティであり、皆が一つの目標を持っていて、お互いに楽しみ、助け合う。それはとても受動的で美しいものだ。でも、それは今も昔も変わらないよ。ロックや政治は変わっても、ダンスミュージックはいつも同じ原動力を持っているんだ。


Q:UK の観客は、他国の観客と比べてどう違う?

いい部分もあるし、そうでもない部分もある。僕にとって UK の観客と(他国の観客と)のの大きな違いは、彼らが僕をしっているということだ。長い間この界隈にいるので「ああ、ノーマン(Fatboy Slim の本名)だ!」というように、家具の一部のように親しみやすく受け入れられている。僕が何をしようとしているのか、僕がどうあるべきかを知っているんだ。海外に行けば行くほど、自分がクールであることを説得する必要がある。
 
Q:Big Beach Boutique から20年が経過して、最近そこでライブを行った際にタイムスリップしたように感じた?

少しね。ブライトンは僕の故郷だし、僕はあのビーチに住んでるんだ。面白いことに、僕が到着したとき、誰かが "戻ってきた気分はどう?" と言ったので、"1週間おきにこの道を通るんだ!" と言ったんだ。僕の故郷にも同じようなプライドがあり、僕にそれを許してくれたことを誇りに感じているよ。20年前、あのビーチは手に負えなくなってしまい、20年かけてやっと許可された。


Q:最近 Netflix で「Woodstock ’99」のドキュメンタリーが公開され、そこではとんでもない事件が起きたが、ステージからその様子を見るのはどんな感じだった?
(※「Woodstock ’99」に出演した際、Fatboy Slim のステージに、ギャングによって盗難されドラッグでハイになったドライバーが運転するバンが群衆のいるアリーナを走り回って近づいてきたため、Fatboy Slim はプレイを中断して逃げざるを得なかった。)

僕はあまり見てないんだ。映画を見たときは「ああ、大変だ。小さな飛行機で逃げちゃったよ!」という感じだった。僕の飛行機の格納庫は、メインステージほど酷くはなかったんだ。悪夢を見るのが怖くて、あまり思い出さないようにしている。(ドキュメンタリーのための)インタビューを受けると、少しエッジの効いた記憶が蘇るね。もう PTSD は治ったと思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。
 
Q:キャリアをスタートさせた頃と現在とで音楽業界は何が一番変わった?

一番大きな変化は、インターネットの普及だと思う。僕が若い頃は、クラブミュージックが好きなら、クラブに行かなければ聴けなかった。18歳以上か、それに近い年齢でないとクラブには入れなかった。ラジオでは流れないし、アクセスもできない。最初はナイトクラブに行っても、どんな音楽か分からなかったのに、今では誰でも聴くことができる。子どもたちはクラブに行く前に音楽を聴き、どんなショーがあるのか、どんな DJ がいるのかを知っている。だから、本当に変わったんだよ。クラブに行くような年齢になる頃には、既にダンスミュージックについて何でも知っているんだ。以前は、もっとアンダーグラウンドなものだったから、僕らにとっても開放的なものになったよ。レコードを持ち歩かなくても、ラップトップやメモリースティックでプレイできるようになった。つまり、曲を編集することができるんだ。20年前の Bib Beach Boutique の映像を見てみると、プロダクションがとても初歩的だ。まるで古風な感じだ。今、ステージや照明、レーザー、ビジュアル、LED スクリーンで何ができるのかを考えてみると、それは体験をずっと良くしてくれたよね。当時はレコードプレイヤー2台とスピーカー1台だけだったんだ。

でも、そのお陰で、より充実したものになった。より簡単にできるようになったし、より良いショーができるようになった。DJ を始めた頃は、イギリス、イビサ、アメリカでしか DJ をしていなかったけど、今では完全にグローバルになっているよね。