東京都品川区に生まれたLUNAは、4歳の時に触れたとある曲??USA for Africaの大ヒット曲“We Are The World”がきっかけで、音楽へと惹き込まれていったという。
「最初に“We Are The World”をゲットしたんだけど、あれは全員モノマネできるくらい好き(笑)。そこからMichael JacksonやStevie Wonderを聴きはじめて。ヒップホップは中学に入ってから聴くようになった」
そんな彼女が、エンターテインする側となることを決意したのは、17歳の時だった「正直こういう業界にはあんまり興味なかったけど、カラオケが流行ってた時だったし、 やっぱり歌うことが好きだなとは思ってて。何からしようか漠然としながらもボイトレ(ヴォイス・トレーニング)を探したところから始まってるかな」
納得できる指導法で教われるよう、様々な教室で試してみたという彼女は、約1年間通ったある教室で飛躍の足がかりを見つける。
「19歳の時、『NYで〈Amateur Night〉っていうのがあるから、それに向けてやってみよう』って言われて。それでNYに渡って、3ヵ月くらいばっちりボイトレをやった」 トレーニングをこなしながら、LUNAはゴスペル・クワイアーにも参加。
毎日のように歌う、まさに音楽漬けの生活だった。
「ああいう中でやってればもちろん声もデカくなるけど、何より“歌のもと”を知ったかな。つま先から頭まで使って歌うっていうか。今までのすべてをブチ壊された感じだった」 そんな中、自らの力で勝ち取った〈Amateur Night〉のステージも、短い時間ながらLUNAの活動に大きな影響を与えている。
「プロもアマも関係なく、ダメなら即効でブーイングが出る場所。
とてつもない場所だったと思うけど、おかげで肝っ玉も座った(笑)」
勝ち抜いた末には、挫折も味わった。
「ブーイング喰らった時は、一人でトイレに駆け込んで泣いた。でも、逆によかったのかなって。大好きなLauryn Hillだってあの場所ではブーイングを喰らってるし、LUNAもあそこでへし折ってもらったから成長できた」
そしてもう一つ、彼女を成長させた出来事がある。大怪我を負った交通事故だ。「気付いたら病院のベットにいた。顔の骨も折れてたし、3ヵ月位は全く歌えない状態。 でも、それで改めて人生を考えさせられて。あの一瞬で死んでたら何も残らなかったし、 今こうやってちゃんと生きてて歌が歌えるなら、やっぱり何かを伝えていくのが使命なのかなって。一瞬一瞬をマジで大切にしていきたい。多分あの事故がなかったらそういうことにも気付いてなかったと思うし、だからこそリアルに伝えられる。みんながそんな経験をすることなく気付いてくれたらいいな。事故だけじゃないけど、自分がこういう人生を送ってきた分、LUNAはやっぱり同じような境遇の子たちを支えていきたいから」
2003年に発表した1stアルバム「The Freak Show」や2008年のEP「Focus」を中 心とした自身名義のリリースはもちろん、SEEDAやOKI(GEEK)、L-Vokalといっ たヒップホップ勢の客演にも積極的に参加して新規リスナーを獲得してきた彼女。 それは独りよがりではない、アーティストとしての将来的な夢のためでもある。
「とりあえず多くの人に聴いてもらえるように。まずはそこからかな。じゃなきゃやってる意味がないし、 LUNAはやっぱりエンターテイメントがしたいから。
日本のレコード大賞とかは最終目標にしてなくて、もうちょっといろんなことを
音楽はできるはずだし、そういう夢をみんなにも伝えていきたい」
LUNAは信じている、魂の宿った音楽には、大きな力が備わっているということを。そしてその思いは、2009年3月11日発売の2ndアルバムへと繋がっていくのだ。