西暦2000年。中学卒業と共にHIPHOP DJとしてのキャリアのスタートを切る。
誰がどう見てもヘッズではあったがその音楽への客観性と愛は多岐に渡り、
SOUL,FUNK,JAZZはもちろん、DUB,DnB,TRANCE,TRIP HOP,etcと、まさに「無差別」に音を食い漁っていた。
しかし様々なサウンドを体感するも自分のスタイルが定まることもなく模索をし続けていた時、
とあるフェスティバルでのDerrick Mayとの遭遇をきっかけに脳内は完全にTechno化を果たす。
その後2年連続でデトロイトへ渡航。完璧なまでにTechnoの洗礼を受け国内でのTechno DJとしてのキャリアを改めてスタートさせる。
鼓膜を切り裂くようハイハット、記憶が飛ぶほどのキックとベースの危険なうねり、
時にアシッドで時にスピリチュアルなシンセサウンド。
それらを暴力的でいてなぜか絶妙なイコライジングとギリギリまで持ちあげた出力でスピーカーから轟かせる。
疾走するイメージで流れを作りテンポよくヴァイナルを入れ替えるスタイルについては
「疾走というか逃げるイメージ。地球から飛び立つんです。さっさと地球とおさらばしたい。ていうか、せっかちだから。」と本人談。
partyに関してはむさぼりつくように様々なタイプのものに出演をしており、
DJプレイのほかにも「D.ex.M」という別名義でMachine Live Artistとしても活動中。
渋谷familyでは「galacsick」、また年に1度某海岸で開催する屋外レイヴ「pawana disco」の主催者でもある。