03.01 (Fri)
BIOGRAPHY
JAY’ED
日本人の父と、ポリネシア系ニュージーランド人の母 の間に生まれ、10歳までニュージーランドで過ごしてきたJAY’EDは日英のバイリンガルとして育ち、音楽に関しても洋邦、ジャンル、年代分け隔てなく 楽しめる素直さとキャパシティを持ちあわせている。古代より特にアジアで珍重されてきた 宝石、翡翠から名付けられた本名のJADEに、英語で使われる過去、受動を 意味する”ED”を加えることで、古き良 きものも自然に受け入れられるような シンガーを目指し、より個性を強調する綴りになった。“何より一番好きで、自分にもっともしっくりくる→歌いたくなるのがR&Bだという基本軸こそは揺る がないが、いわゆる“真っ黒(マッチョ)な歌い方” は好まない、どちらかと言えば非シャウター的スタンスで、ナイーブ、センシティヴ、ロマンティック…どうとでも形容出来るが、歌い手としてのJAY’ED の持ち味は総じてスウィートかつエモーショナルな類のものだ。 10代のころから地元大阪を拠点に活動を始めると、当時、彼のようなシンガーにとって決して追い風が吹いているとは言い難かったクラブ・シーンではあった が、その中でもJAY’EDの歌声と才能は周囲から絶大な支持を得ていく。2002年からDOBERMAN INCを始めとするヒップホップ・アーティストと共演を数多くこなし、初のオリジナル・シングル「Why」(’05)その時期(’02?’06)の録音物 をコンパイルしたコンピレーション・アルバム『The Gift ?just let me know?』(’06)を発表、インディーズながら2万枚以上を売上げ、関西における存在を確立した。メジャーデビュー前であったこの頃すでに、ジャス ティン・ティンバーレイク、シアラ、Jホリディといった“全米No.1アーティスト”たちの来日公演の前座に抜擢されてきた実力はもちろんのこと、数々の ヒップホップ・アーティストとのコラボで磨いてきたストリートなエッジとセンシティヴでソウルフルなフィーリングの中に共存する独特のポップ・センスは、 JAY’EDがハイブリッド・シンガーと呼ばれる所以だろう。 そして2008年5月、満を持してシングル「Superwoman」でメジャーデビューを果たす。自分のルーツであるR&Bを土台にしつつも「常 に新しいものを取り入れ、進化していきたい」という本人の言葉通り、様々なタイプの歌を届けられる表現者を目指し、それを具現化したのが2008年8月リ リースのセカンド・シングル「ずっと一緒」だ。「英語で歌う方が楽」でありながら、「心は日本人、だから日本語の美しさを大切にしたい」という JAY’EDのこだわりが彼を成長へと導いている。そして2009年2月に、その“日本語の美しさ”を結実させ、JAY’EDの声の魅... More Biography
JAY’ED
日本人の父と、ポリネシア系ニュージーランド人の母 の間に生まれ、10歳までニュージーランドで過ごしてきたJAY’EDは日英のバイリンガルとして育ち、音楽に関しても洋邦、ジャンル、年代分け隔てなく 楽しめる素直さとキャパシティを持ちあわせている。古代より特にアジアで珍重されてきた 宝石、翡翠から名付けられた本名のJADEに、英語で使われる過去、受動を 意味する”ED”を加えることで、古き良 きものも自然に受け入れられるような シンガーを目指し、より個性を強調する綴りになった。“何より一番好きで、自分にもっともしっくりくる→歌いたくなるのがR&Bだという基本軸こそは揺る がないが、いわゆる“真っ黒(マッチョ)な歌い方” は好まない、どちらかと言えば非シャウター的スタンスで、ナイーブ、センシティヴ、ロマンティック…どうとでも形容出来るが、歌い手としてのJAY’ED の持ち味は総じてスウィートかつエモーショナルな類のものだ。 10代のころから地元大阪を拠点に活動を始めると、当時、彼のようなシンガーにとって決して追い風が吹いているとは言い難かったクラブ・シーンではあった が、その中でもJAY’EDの歌声と才能は周囲から絶大な支持を得ていく。2002年からDOBERMAN INCを始めとするヒップホップ・アーティストと共演を数多くこなし、初のオリジナル・シングル「Why」(’05)その時期(’02?’06)の録音物 をコンパイルしたコンピレーション・アルバム『The Gift ?just let me know?』(’06)を発表、インディーズながら2万枚以上を売上げ、関西における存在を確立した。メジャーデビュー前であったこの頃すでに、ジャス ティン・ティンバーレイク、シアラ、Jホリディといった“全米No.1アーティスト”たちの来日公演の前座に抜擢されてきた実力はもちろんのこと、数々の ヒップホップ・アーティストとのコラボで磨いてきたストリートなエッジとセンシティヴでソウルフルなフィーリングの中に共存する独特のポップ・センスは、 JAY’EDがハイブリッド・シンガーと呼ばれる所以だろう。 そして2008年5月、満を持してシングル「Superwoman」でメジャーデビューを果たす。自分のルーツであるR&Bを土台にしつつも「常 に新しいものを取り入れ、進化していきたい」という本人の言葉通り、様々なタイプの歌を届けられる表現者を目指し、それを具現化したのが2008年8月リ リースのセカンド・シングル「ずっと一緒」だ。「英語で歌う方が楽」でありながら、「心は日本人、だから日本語の美しさを大切にしたい」という JAY’EDのこだわりが彼を成長へと導いている。そして2009年2月に、その“日本語の美しさ”を結実させ、JAY’EDの声の魅... More Biography