1974年にメガロポリス、ブラジルはサンパウロで生まれ、以来ずっと住んでいる。96年、ブラジルがまだエレクトロニックミュージックシーンの蚊帳の外にいたころよりキャリアをスタート。当時はDJをするということは毎週土曜日にエレクトロミュージックのエの字も知らないオーディエンスに向かったテクノをプレイしなければいけないことを意味していた。こういった逆境の中で、レナートは人を大いに惹きつけるエネルギッシュでポジティブな独自のミックステクニックを身につけ、ブラジルをエレクトロミュージックの世界へを導いた。
そのパフォーマンスはブラジル中にすぐ知れ渡り、名門クラブ"A Loca"や2000年代初頭には"Lov.e"、最近では巨大な"Clash Club"のレジデントを務めるようになる。ハウス、テクノ、ファンク、ジャズなどから影響を受けたその類まれなるミックススタイルをもってして、彼の目標はブラジルのエレクトロミュージックのアイデンティティを確立すること、ただ一つに絞られた。音楽が何かいいものをもたらし、それによって皆の生活がより良くなるという考えを元にハッピーで魅力的なヴァイブスを生み出そうとしたのだ。レナートはそうしてすぐに国を代表するアーティストの一人となり、キャリア初期に作られたトラックがコカコーラや東芝のCMで使用されるとますますその名は全国的に広まった。それだけでなくブラジルのスラムを舞台にしアカデミー賞にノミネートされるなど世界中でヒットを博した映画『シティ・オブ・ゴッド』のサウンドトラックのリミックスやヘルコビッチ・アレキサンドレのファッションショーの音楽を手掛けるなど活躍の場を順調に広げた。
国際的な活動は2002年から始まった。まずCarl CoxのレーベルIntecから"Pontape"をリリースし、5万枚以上を売り上げ、ブラジルもエレクトロミュージックの世界の仲間入りしたことを人々は知ることとなった。この成功をきっかけにロンドンのFabric、東京のWomb、イビサのSpace、ブリュッセルのFuse、パリのRex、ベルリンのBerghainなどなど世界中の名だたるクラブやWire、Fance Valley、I Love Techno,、Awakenings、Love Paradeなど様々なフェスティバルに招かれるようになった。その後Sinoや自身のレーベルPoperoからEPを数作発表、Chris Liebing、Len Faki、TechnasiaらのRemixプロジェクトにも参加した。
キャリア開始から10年以上経った2007年、遂にレナート自身はさらに大きなプロジェクトに携わるレベルに達したと自覚する。2年間、デビューアルバム『16 Billion Drum Kicks』の制作に費やし、メインストリームのテクノが暗いミニマ...
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