マウント・キンビーとは、一体何者なんだろう?
「いきなり難しい質問だね」とドム・メーカーが考えにふけるようにつぶやく。「答えるのは難しいな」と相方のカイ・カンポスが相槌を打つ。「あまり言葉に出さない事なんだ」
2009年にこの二人組がリリースした2作のEP「Maybes」と「Sketch on Glass」を聴くと、人間の心に秘めた空間を探索しているような気持ちになる。群集に囲まれていながらも心を閉ざし引きこもっている一人の他人の頭の中に勝手に入り込んでしまった気持ちだ。
その理由と背景は、マウント・キンビー発祥のストーリーを知れば理解できるかもしれない。全てはカイ曰く「とにかくクソで最悪な町」、ロンドン南部エレファント・アンド・キャッスルで、大学生の二人が出会った所から始まった。
「大学が学生寮として改造したのが古い精神病院だったんだ。冷たくて活気がなくて気が滅入らずにはいられないコンクリートの建物で、ペンを落とせば音がこだまするような空間だった。」
確かにマウント・キンビーの作品にはエコーは重要な役割を持っている。
ダブステップ・グライムのアーティストとして一世を風靡しているジェイムス・ブレイクとも、この時期からの親友だそうだ。「ある晩、ジェイムスを交えてドムの家でリハした後、酔っ払って大声で歌いながら家に帰る途中で50メートルほど長いトンネルに入ったんだ。ものすごいリバーブが響くトンネルで、数ヵ月後マイク持参で音を録音しに戻った。クソ寒い夜中に田舎町のはずれのトンネルの中でヘンな男達が三人ハーモニーを歌っているのさ。あの夜録った音は今回のアルバムにたくさん使われている」
この夜拾ったサウンドの断片と新たな野心を携えて、二人はカオスとも呼べる街の生の音をリズムでまとめ、感じたままのロンドンを音楽に変えていくようになった。常にどこかでサイレンが響き渡るロンドンの喧騒や、うんざりするようなトランス・シーンの音楽や人間層から離れようとした試みだったのはよく理解できる。長旅の汽車の中、くもの巣が密集する薄暗いガレージ、元精神病院の部屋...不思議で親密な空間で作られ、そんな場所で体験するために制作された音楽なのだ。しかし、「そんな場所」は一体どこに存在するんだろう?
ポスト・ダブステップと称される音楽が多方面に分散する今、そのアティチュードとアプローチから見ても、元々はベースに惹かれてUKクラブシーンに近づいた経歴を取っても、マウント・キンビーは新しいジャンルの発起人の一組と呼べるだろう。
ダブステップのエレクトロ版とも呼べる彼らのサウンドはジャンルを選ばないから、ルールやお約束にも縛られない。ダブステップからヒップホップ、ジャズ、テクノ、アンビエンス、ポストロック、UKガレージや映画サントラまで、音楽の境界線をすり抜けていく。が、マウント・キンビーの音楽を物理的な指標で表そうとすると、また冒頭の質問を繰り返し問いてしまう。
「マウント・キンビーとは、誰なんだ?何なんだ?」
それは、カイとドムの嗜好や感情が合わさって共鳴する領域なのだろう。二人が出会った当時、イギリス最西端地方コーンウォールの田舎町から上京したてだったカイにとっては特に辛い一年だったという。あの時期、あの場所という条件の下で二人が会っていなかったら?
「あそこで会ったからこそ今の俺達があるんだ」と即答するドム。カイも「出会った頃感じていた物は今でもあの頃、ロンドンで暮らし始めた最初の1,2年間抱えていた感情を今でも音楽の素材にしているよ。」と合意する。
確かに、マウント・キンビーの音楽から滲み出る感情の渦に浸っていると、二人のそんな出会いから生まれた感情が聞こえてくるかのようだ。何より大きいのが安堵、そして歓喜、好奇心、みなぎる自信。そして、それまで何かを探していた頃の記憶と寂しさが蘇ってくる。
「Maybes」と「Sketch on Glass」から聴こえる苛立ちや逃避、不可解であまのじゃくなサウンドはそんな過去と現在の記憶や感情が混合した場所から発信されているのだろう。
絶えず変化する都市の生きた部分が切り取られ、人工照明や汚い空気と一緒に人の中に閉じ込められた記憶が、静かに重く二人のサウンドの中で甦る。
「僕にとって意味がある音楽は、感情の渦や相反するものを持ち合わせているからこそ音楽と呼べるものなんだ」とカイは説明する。「だから音楽なしにはいられない。言葉で言い表そうとしてもどうしても意味が伝わらない矛盾とかを表現してくれるから。音楽って人間の核心を突くものなんだ。人生と同じで、色々なものが混ぜ合わさっている。」
http://www.mountkimbie.com/