吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年8月18日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。本名同じ。広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。1984年、シングル『モニカ』で歌手デビュー。『LA VIE EN ROSE』、『KISSに撃たれて眠りたい』、『VENUS 〜迷い子の未来〜』や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの『BE MY BABY』などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演し、一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。略歴* 父親は若い頃、京都の太秦で大部屋俳優をしていた。実家の料亭(太平洋戦争前は広島市中島本町にあったが、原子爆弾投下で崩壊した為移転した。)を継ぐため俳優を諦め板前になったという経緯を持つ。吉川が幼い頃、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手・管理職などをした。* (省略)。* 府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる『仮面ライダー』撮影で山本太郎、吉川晃司にビビってワキ汗止まらず!府中町 3人 組じゃ|竹原慎二 オフィシャルブログ-竹原慎二はブタっ鼻(2010-01-24)宇梶剛士オフィシャルサイト2009-03[PDF - 1 - 平成18年第4回府中町議会定例会])。修道高等学校中退。* 広島の男子進学校である修道中学校時代から水球の選手として活躍し、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材で、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加した。なお、広島屈指の進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に2本の白線があり、それがカッコよかったから」。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその2本の白線で、修道中学校生だと判ってしまい、悪いことが出来なかった為、嫌いになってしまったそうである(入学後は、その白線を物と擦って消していたそうである)。* バンド活動(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)も平行して行っていたが、
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