宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )は、日本のロック歌手、作曲家、俳優、映画監督。京都府京都市出身。1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動する。妻は作詞家の阿木燿子で、「作詞阿木・作曲宇崎」のコンビは山口百恵の全盛期を支えた。略歴京都生まれだが、東京・代々木上原育ち。父親は船具店を経営しており裕福な家庭だった。1973年、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。シングル『知らず知らずのうちに』でデビュー。1974年に出した『スモーキン・ブギ』がヒットし、つなぎルックと共に脚光を浴びる。さらに翌年リリースしたシングル『カッコマン・ブギ』のB面曲である『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』が大ヒット。曲中のセリフ「あんたあの娘のなんなのさ」は流行語にもなり一世を風靡した。また、この曲をもとに映画まで作られた。1980年、バンド名を「ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド」に改名、翌年解散。これ以前から山口百恵等に作曲家として曲を提供したり映画『曽根崎心中』(1979年)、『TATOO(刺青)あり』(1982年)に主演するなどしていたが、解散後はさらにドラマ出演、映画・舞台音楽や監督など多方面に進出。1984年、今までにない新しい音楽にチャレンジするために「竜童組」を結成。その活動舞台は日本国内のみならず、世界各地にまで広がった。1990年に活動休止。1993年、元ザ・スパイダースの井上堯之と共に大人のロックバンドを目指すため、「どちらかが死ぬまで続けよう」との約束で「宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之」を結成。1998年に活動休止するが、二人の約束は今でも続いている(久留間寛吉『なぜ宇崎竜童と阿木燿子はお互いに好きな事をしてもうまくいくのか』あっぷる出版、2007年、参照)。1998年以降はソロ・アーティストとして活動。2008年にはデビュー35周年を迎え、2枚組のブルースアルバム、同じく2枚組のベストアルバムのリリース、記念ライブが行われた。2008年4月10日、憲政記念館で開催された「天皇皇后両陛
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