02.17 (Sat)
古謝美佐子(こじゃ みさこ、1954年5月11日 - )は日本の音楽家、沖縄音楽を代表する歌手の一人。沖縄県中頭郡嘉手納町生まれ。略歴6歳より唄と三線を習い9歳でレコードデビュー。週末に民謡クラブに出演するようになった中学時代以降、沖縄のラジオ・テレビ出演を含む演奏活動や、前川守賢ら若手の民謡歌手とのレコード録音を行なう。1986年から我如古より子、玉城一美と共に坂本龍一のネオ・ジオ(1987年)、ビューティ(1989年)のレコーディングやコンサートに出演、後者では「オキナワチャンズ」としてフィーチャーされ、1988年のアメリカツアーと1990年のワールドツアーにも同行した。このうち「ちんさぐの花」は1999年のオペラ「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」に組み込まれ、東京・大阪での公演に旧オキナワチャンズが出演した。1990年には知名定男のプロデュースにより、吉田康子、宮里奈美子、比屋根幸乃とネーネーズを結成してリーダーとなる。ネーネーズは1991年にメジャーデビューし、ポップス感覚の沖縄民謡グループとして全国的な知名度をあげ、1995年に大阪城野音で復活した琉球フェスティバルの大看板の一つとなった。1994年には知名のレーベル、ディスク・アカバナーからソロアルバム『島美らさ』(しまじゅらさ)をリリースしている。1995年12月にネーネーズを脱退、翌年から元ネーネーズ音楽監督の佐原一哉とソロ活動を開始、東京の浅草木馬亭など内地でのコンサートを定期的に行なう。1996年7月には千石・三百人劇場で栗山民也演出の音楽劇『吉屋チルー/今を生きる』に出演した。初の自主制作盤シングル『童神』(わらびがみ、1997年12月)は、1997年2月、初孫の誕生を前に書いた詞を佐原の曲につけたもので、ライブ会場販売用の限定盤である。同じく佐原の曲による「天架きる橋」(あまかきるはし)では、古謝が実母の他界(1998年11月)に際して詠んだ琉歌、「恨む比謝橋」では伝承の女性歌人吉屋チルーの作とされる琉歌を歌っている。これらのオリジナル曲ほか11曲を収録した『天架ける橋』は、ネーネーズ脱退後初のソロアルバムとして2000年に制作され、2001年6月に店頭販売された。9歳で初録音した童謡「すーしすーさ」の音源アレンジを含むこの作品は
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