01.26 (Fri)
クインシー・ディライト・ジョーンズ二世(Quincy Delight Jones II、1933年3月14日 - )は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、作曲家。1950年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞している。ブラックミュージック界のみならずアメリカのポピュラー音楽界における偉人の一人である。また、米FOXテレビの人気コメディ番組MADtvの製作総指揮も担当している。来歴イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学ぶ。10歳の頃にワシントン州に転居。そこで盲目のピアノ・プレーヤーの少年レイ・チャールズと知り合い、ともにバンド活動を始める。1951年、バークリー音楽大学を卒業後、トランペット・プレーヤーとしてライオネル・ハンプトン楽団に参加。そこでアレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、サラ・ヴォーンらジャズ界のスターのアレンジを手がけるようになった。1957年にパリへ渡り、作曲・音楽理論などを学ぶ。フランス共和国のマーキュリー・レコード社長の知己を得てヨーロッパでも数々のビッグバンドを率いて活躍し、自身のバンドでも成功を収めた。1964年には、マーキュリー・レコードニューヨーク支社の副支社長となり、同時に映画音楽の分野へも活動の幅を広げる。アメリカ国民なら必ず知っているテレビ映画『ルーツ』のサウンドトラックを手がける。1960年代からはプロデューサーとしても活躍し始め、1963年にレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティー」をビルボード1位にしたのをはじめ、マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらのプロデュースを手がける。自身の作品でも数々の名作を残し、チャズ・ジャンケルの1979年録音のアルバム『愛のコリーダ』(原題"CHAZ JANKEL")に収緑のカヴァーである、1981年の「愛のコリーダ」(タイトルの由来は、大島渚監督の同名映画から)のようなポップ分野でのヒットも生んだ。1982年に発表されたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』は、世界最高のセールスを記録し、この作品でクインシーはキャリアの絶頂を極める。同年に、自主レーベルクウェスト・レコードをスタート、1985年までA&Mレコードが供給したが、後にワーナー・ブラザーズ・レコードに売却される。ま
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