02.11 (Tue)
安部 恭弘(あべ やすひろ、1956年1月13日 - )は、日本の作曲家・シンガーソングライター、音楽プロデューサー。経歴東京都文京区出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築設計士の家庭に生まれる。自身もかなり真剣に建築設計士の道を目指しており、大学も建築設計科を選択していた。一方、高校時代から音楽に目覚め、大学時代より本格的にアマチュア音楽活動を始める。大瀧詠一は大学の先輩である。早稲田大内の軽音楽サークルには傾向の合うものがなかったため参加せず、銀座のライブスポットで演奏をしていた他大学のサークルやアマチュアバンドに接触。その中で慶應義塾大学のサークルで活動していた杉真理、竹内まりやらと出会う。音楽のジャンルではボサノヴァが好きで、初期にはボサノヴァのリズムをベースにした曲ばかり作曲していたため、「ボサアベ」というあだ名をつけられた。後年の稲垣潤一への代表的提供曲『ロング・バージョン』のリズムもやはりボサノヴァである。大学在学中に、杉真理のバンド・リアルマッコイズの活動に参加。リアルマッコイズはやがて"杉真理&レッドストライプス"としてメジャーデビューを果たし、2枚のアルバムを発表するが、ヒットに恵まれず、杉の急病に伴い事実上の解散。その後、ソロで出場した1977年の「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」第14回大会ではつま恋本選会まで進んだが、受賞は逃した。大学卒業後、大手ゼネコンに就職するが、音楽が忘れられず意を決して退職。しばらくの間はディレクターやスタジオミュージシャンとして、スタジオレコーディングを手掛けたり、他アーティストのライブにコーラスとして参加しつつ、クリスタルキング、大橋純子、竹内まりや、稲垣潤一等への作曲提供をしていた。ポプコンやレッドストライプスでの挫折から、当初は作曲家・スタジオミュージシャンとしての活動に専念し、ソロアーティストとしての活動には消極的だったが、1981年の寺尾聰の「ルビーの指環」の大ヒットに触発されてデビューを決意した。ステージ・パフォーマーとしてはギター、キーボードなどのプレイを披露。特に小田和正のソロ初期のステージにおけるギタリストぶりは印象深い。これはかねてより小田と親交があっただけでなく、「リードが弾けてコーラスがとれるギタリスト(ついでに、キーボードもでき
ウィキペディアで続きを読む... More Biography
ウィキペディアで続きを読む... More Biography