03.01 (Fri)
有賀 啓雄(ありが のぶお、1964年10月14日 - )は東京都出身の日本のシンガーソングライター、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ベーシストである。初期には、有賀 啓夫との表記も見られる。
原田真二のバックバンドである「クライシス」や崎谷健次郎のバンド「VIZION」のメンバーとして活躍した後、1987年にファンハウスから「雨色の僕と君」でシンガーソングライターとしてデビューした。シンガーソングライターとしては、シングル7枚、アルバム3枚を残しており、代表作に「雨色の僕と君」、「君の悲しみを聞かせてよ」がある。「あと1センチ傘が寄ったら」は、後に吉田栄作に「プラトニック」と改題してカヴァーされた。 また、米米CLUBの石井竜也と音楽ユニット「ACRI(アクリ)」を結成している。
シンガーソングライターと並行して、セッションベーシスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとしても活動を始めている。ベーシストとしては、崎谷健次郎、米米CLUB、岡村靖幸、池田聡、CoCo、鈴木雅之、中西圭三、中山美穂、藤井フミヤなどの作品に関わっている。その中でも渡辺美里へは、音楽プロデューサーとしてアルバムを制作したり、ライヴではバンドマスターを務めていたこともあり、関わりが深い。また、槇原敬之のコンサートのサポートミュージシャンを務め、2004年10月14日に岡山県倉敷市民会館でコンサートが行われた際には、有賀の誕生日を祝うために渡辺美里がメイド服のコスチュームで飛び入り参加したことがある。
2005年からは、小田和正のサポ-トミュージシャンを務めている。作詞・作曲家活動としては、1998年のTVアニメーション作品彼氏彼女の事情のオープニング曲「天使のゆびきり」(歌:福田舞、作詞:藤井フミヤ)の作・編曲を務めたことが有名である。
続きはウィキペディアで。... More Biography
原田真二のバックバンドである「クライシス」や崎谷健次郎のバンド「VIZION」のメンバーとして活躍した後、1987年にファンハウスから「雨色の僕と君」でシンガーソングライターとしてデビューした。シンガーソングライターとしては、シングル7枚、アルバム3枚を残しており、代表作に「雨色の僕と君」、「君の悲しみを聞かせてよ」がある。「あと1センチ傘が寄ったら」は、後に吉田栄作に「プラトニック」と改題してカヴァーされた。 また、米米CLUBの石井竜也と音楽ユニット「ACRI(アクリ)」を結成している。
シンガーソングライターと並行して、セッションベーシスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとしても活動を始めている。ベーシストとしては、崎谷健次郎、米米CLUB、岡村靖幸、池田聡、CoCo、鈴木雅之、中西圭三、中山美穂、藤井フミヤなどの作品に関わっている。その中でも渡辺美里へは、音楽プロデューサーとしてアルバムを制作したり、ライヴではバンドマスターを務めていたこともあり、関わりが深い。また、槇原敬之のコンサートのサポートミュージシャンを務め、2004年10月14日に岡山県倉敷市民会館でコンサートが行われた際には、有賀の誕生日を祝うために渡辺美里がメイド服のコスチュームで飛び入り参加したことがある。
2005年からは、小田和正のサポ-トミュージシャンを務めている。作詞・作曲家活動としては、1998年のTVアニメーション作品彼氏彼女の事情のオープニング曲「天使のゆびきり」(歌:福田舞、作詞:藤井フミヤ)の作・編曲を務めたことが有名である。
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