04.17 (Wed)
財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 - )は、福岡県福岡市出身の日本のポップスシンガー、作曲家、俳優。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。2004年から大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授。血液型O型。和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカー。来歴・人物生い立ち5人兄弟の末っ子として生まれる。財津家は元々は熊本がルーツだったが、戦時中は朝鮮で生活をしていた。そして敗戦と共に福岡の親戚を頼って日本へ引き揚げ、福岡の競輪場で食堂を営んでいた。そのため、兄弟の中で唯一の福岡生まれであった。ミュージシャンとして1970年代からに活躍しているニューミュージック系ポップスグループ「チューリップ」の中心的人物。チューリップのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手がけている。1989年のチューリップの一時解散以降はソロ音楽活動を中心に活躍。1997年のチューリップ再結成後は、2〜3年に1回の頻度でツアー活動を軸にチューリップとしての活動も展開中。1963年、福岡県立香椎高校に入学。高校時代にビートルズに憧れ、独学でギターを学んだ。1966年に同高校を卒業。翌年、西南学院大学法学部に入学(のちに中退)するが、浪人中にはビートルズの武道館コンサート見たさに上京し、観賞したという逸話もある。同級生の吉田彰から借金して大学に入学すると、吉田彰と共に和製ビートルズを目指して、1969年、チューリップの前身となる「フォーシンガーズ」を結成。1971年、バンド名を「チューリップ」に改名する。のちに海援隊や甲斐バンド、井上陽水などを生んだ博多の伝説的音楽喫茶「照和」でライブ活動を展開し、人気を博すが、デビューを志し、上京。当時、ビートルズのレコードを手がけていた東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)に自らデモテープを売り込み、1972年、東芝音工よりシングル「魔法の黄色い靴」でレコードデビューを果たす。同年、アルバム『魔法の黄色い靴』、翌年、2枚目のシングルとアルバムをリリースするも売れない日々が続いたが、3枚目のシングル「心の旅」(1973年)が発売5ヵ月後にオリコンチャート第1位を獲得。連日のようにテレビ音楽番組に出演するなど、一躍スターダムにのし上がる。その後も自身がボーカルをとった「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年
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