02.17 (Sat)
ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS、THE ROOSTERZ)は1979年に結成し2004年に解散した日本のロックバンド。
概要:初期メンバーは、大江慎也(ボーカル、ギター)、花田裕之(ギター)、井上富雄(ベース)、池畑潤二(ドラムス)の4人。初期の頃はチャンプスの「テキーラ」、エディ・コクランの「カモン・エヴリバディ」、ボ・ディドリーの「モナ」など多くのカバーをやっていたが、オリジナル曲の「ロージー」や「恋をしようよ」などのスピード感のある楽曲の数々を発表し続けてきた。しかしバンド中期には、初代ボーカルの大江慎也が精神的体調不良により脱退。その後、ギターの花田裕之がボーカルを務めるも、1988年にバンドは活動停止。2004年、オリジナルメンバーである大江、井上、池畑をゲストに呼んだラストライブで正式に解散。
略歴:1979年11月、「人間クラブ」というバンドを母体に、ザ・ルースターズが結成される。バンド名はウィリー・ディクスンによるブルースの名曲"Little Red Rooster"にちなむ。「人間クラブ」には、大江・花田・井上・池畑と、後のルースターズ結成時のメンバーは参加していたが、ヴォーカルは大江ではなく、サンハウスの柴山俊之を彷彿とさせる歌唱法の南浩二だった。(当時、大江はサイドギター担当でボーカルは取らなかった)その後、大江の中で歌いたい欲求が強くなり、それがルースターズ結成を決意させた。1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。当初はローリング・ストーンズ、チャック・ベリーのカバーを中心としながらR&B、ブルースロック、パンク・ロックを基調としたハイテンションなサウンドを展開していた。1983年、この頃から大江が精神的にダウンし始め、サウンドにも病的な陰影が漂いはじめた。6月に下山淳(ギター)、安藤広一(キーボード)が加入。時期を同じくしてドラムの池畑潤二が脱退し、代わりに灘友正幸が加入。4thアルバム『DIS』をリリース。この頃のサウンドは当時日本でも人気のあったU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドを奏で出す。
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概要:初期メンバーは、大江慎也(ボーカル、ギター)、花田裕之(ギター)、井上富雄(ベース)、池畑潤二(ドラムス)の4人。初期の頃はチャンプスの「テキーラ」、エディ・コクランの「カモン・エヴリバディ」、ボ・ディドリーの「モナ」など多くのカバーをやっていたが、オリジナル曲の「ロージー」や「恋をしようよ」などのスピード感のある楽曲の数々を発表し続けてきた。しかしバンド中期には、初代ボーカルの大江慎也が精神的体調不良により脱退。その後、ギターの花田裕之がボーカルを務めるも、1988年にバンドは活動停止。2004年、オリジナルメンバーである大江、井上、池畑をゲストに呼んだラストライブで正式に解散。
略歴:1979年11月、「人間クラブ」というバンドを母体に、ザ・ルースターズが結成される。バンド名はウィリー・ディクスンによるブルースの名曲"Little Red Rooster"にちなむ。「人間クラブ」には、大江・花田・井上・池畑と、後のルースターズ結成時のメンバーは参加していたが、ヴォーカルは大江ではなく、サンハウスの柴山俊之を彷彿とさせる歌唱法の南浩二だった。(当時、大江はサイドギター担当でボーカルは取らなかった)その後、大江の中で歌いたい欲求が強くなり、それがルースターズ結成を決意させた。1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。当初はローリング・ストーンズ、チャック・ベリーのカバーを中心としながらR&B、ブルースロック、パンク・ロックを基調としたハイテンションなサウンドを展開していた。1983年、この頃から大江が精神的にダウンし始め、サウンドにも病的な陰影が漂いはじめた。6月に下山淳(ギター)、安藤広一(キーボード)が加入。時期を同じくしてドラムの池畑潤二が脱退し、代わりに灘友正幸が加入。4thアルバム『DIS』をリリース。この頃のサウンドは当時日本でも人気のあったU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドを奏で出す。
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