05.12 (Sun)
ラリー・カールトン(Larry Carlton、1948年3月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身のジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、作曲家。歴史6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代にはブルース・ギタリストのB.B.キングやジャズ・サックス・プレーヤーのジョン・コルトレーンに影響を受け、ジャズを演奏し始める。スリム・エドワーズやジョー・パスに師事した。1966年から1968年までL.A.ハーバー・カレッジ、1968年から1970年をロングビーチ州立大学で音楽を専攻した。サンディエゴで開かれた南カリフォルニア・ビッグ・バンド・コンテストで最優秀ソロイスト賞を受賞し、1968年にファースト・アルバム「With a Little Help from My Friends」をリリース。その後もソロでの経歴を重ね、1971年から1976年までジャズ・ロック・グループ、ザ・クルセイダーズに参加する。1977年にはワーナー・ブラザーズ・レコードと契約し、1978年から1984年に掛けて、6枚のソロ・アルバムを制作した。その楽曲と演奏に対し、4つのグラミー賞を受賞している。1970年代には、ロサンゼルスでセッション・ミュージシャンとしても活躍し、スティーリー・ダンやジョニ・ミッチェルも含む多数のアルバムに参加している。ローリング・ストーン誌のベスト・ギター・ソロに関する投票では、"Kid Charlemagne"(スティーリー・ダンのアルバム、The Royal Scamに収録)でのプレイが第3位に選ばれている。1985年には、アコースティック・ジャズ・アルバム制作のために、MCAレコードと契約した。その成果が、アルバム「Alone, But Never Alone」である。この年から1990年の間、カールトンは様々なソロ・プロジェクトで活動し、再度グラミー賞を受賞している。しかし、アルバム「On Solid Ground」の制作中、"Room 335"(南カルフォルニアにある自宅のプライベート・スタジオ)の外にいた青年に銃撃を受けた。この銃撃により彼の声帯は破壊され、彼自身も重大な精神的外傷を負ったが、徹底的な治療とポジティブな持ち前の精神力で、最終的にはこのアルバムを完成させ、1989年に発表した。1991年からはブルース・アル
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