Wed, 08 Feb 2023
《幼少時代》
1979年9月8日 ペンシルバニア州、フィラデルフィアに生まれる。
父はベトナム退役軍人。幼い頃から、彼女にボブ・ディランなどの曲をギターで弾いて聞かせてくれていた。その影響でP!NKは歌手を志すようになる。音楽好きな父親からいろいろと音楽を教えてもらったようで、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス等の古いロックなどを好むようになる。しかし7歳の頃に両親が離婚。尊敬していた父親が家を出て行ってしまった。
母親は彼女の夢を全く理解してくれなかった様で、彼女が高校を中退した際に、家から追い出したという。
《デビューまでの過程》
ティーンの頃にクラブへ顔を出すようになり、ほとんどの時間をダンスフロアやステージで費やすようになっていく。彼女はそのクラブで、スクラッチと言う名のダンサー(後のザ・ルーツのメンバー、スクラッチ)に出会い、彼の所属するラップグループでバックボーカルをやらせて貰う様になる。その後毎週金曜日には、クラブでレギュラータイムをもらい、メアリー・J. ブライジの曲などを歌う様になる。
本格的に作曲を始めたのは14歳の頃で、スタジオに入ってデモテープの制作も始めていた。
ある日、R&Bグループのシンガーを探していたあるレコード会社のA&Rがクラブを訪れ、彼女を気に入り、“BASIC INSTINCT(ベーシック インスティンクト)”というグループのオーディションを受けるよう彼女に勧める。 オーディションに合格したものの、グループはすぐに空中分解、その後、当時LA.リードが社長を勤める、LA Faceレコードが契約した“チョイス(Choice)”というグループに抜擢されたが、このグループもデビュー直前までこぎつけながらあえなく解散してしまった。
しかし、これがきっかけでLA.リードと知り合ったP!NKは彼に自分の作ったデモテープを聴かせたところ気に入られ、デビューすることになった。
《デビュー以後》
2000年初頭、P!NKはベイビーフェイスやシェイクスピアなどのR&B界を代表するプロデューサーたちを招いてアルバムの制作を開始した。
デビューシングル「ゼァー・ユー・ゴー」は全米で7位を獲得、続けてリリースしたセカンド・シングル「モスト・ガールズ」は、全米4位を記録した。
アルバム『キャント・テイク・ミー・ホーム』は、アメリカでビルボードアルバムチャートに連続59週間チャートインし、カナダ、オーストラリアでダブル・プラチナム、イングランドでもプラチナ・ディスクを記録。
2001年に入... More Biography