Thu, 11 Nov 2021
ボノ/Bono (vo/g)、ジ・エッジ/The Edge (g/piano/vo)、アダム・クレイトン/Adam Clayton (b)、ラリー・マレン/Larry Mullen (ds/perc)。バンド結成時、「まともに楽器も弾けなかった」U2であったが、彼らの旺盛な意欲と野心は、活動開始当初から際立っていた。ボノ、ジ・エッジ、ラリー・マレン、アダム・クレイトンの4人は、マウント・テンプル・スクール時代に出会い、1978年にU2を結成。可能な限りのレコード・レーベルと接触した後、クリス・ブラックウェルのアイランド・レコードと契約を果たした。そしてスティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え、最初の3枚のアルバムを制作。それが『ボーイ』(1980)、『アイリッシュ・オクトーバー』(1981)、そして『WAR(闘)』(1983)である。4作目『焔(ほのお)』(1984)では、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデュースを担当。これらのアルバムと大規模なツアーを通じ、熱心なファン層を拡大していった彼らは、1985年7月に開催されたライヴ・エイドでのパフォーマンスにより、メインストリームで大ブレイクを果たした。1987年に5作目『ヨシュア・トゥリー』を発表すると、同作を引っ提げたツアーを実施。米タイム誌は彼らを表紙に起用し、見出しで「U2:今、最も人気のあるロック・バンド」と宣言する。アリーナ公演は、間もなくスタジアム公演に取って代わられるようになり、『ヨシュア・トゥリー』は1988年のグラミー賞で<最優秀アルバム賞>を獲得。同年には6作目のスタジオ・アルバム『魂の叫び』がリリースされた。90年代が明けて間もない頃、バンドは7作目『アクトン・ベイビー』を発表し、画期的かつ未来的な<Zoo TV ツアー>へと乗り出した。2年間に及んだ<Zoo TV ツアー>で、彼らは地球を2周。その勢いのまま生み出されたのが、8作目『ZOOROPA』(1993)だ。同作は元々、シングルとして発表するつもりでツアー中に曲を録音したところから始まり、それがEP(ミニ・アルバム)に発展。最終的に、U2の8作目のアルバムとして完成した。2000年、U2は10作目『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』と共に帰還。17年ぶりに小規模なクラブで一連のライヴを行い、「U2は“前職”への復帰願いを出しているところだ」とボノが宣言する——つまり、“世界で最大のロック・バンド”という職である。2001年、ヨーロッパと米国を(2度)回る<エレヴェイション・ツアー>を行った彼らは、“復職”に成功したとの評価を満場一致で受けた。2004年、11作目『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』のリリース後、U2はロックの殿堂入りを果たした。次の『ノー・ライン・オン・ザ・ホ...
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