世界89の国と地域のiTunesで1位を獲得するなど、新曲「No Tears Left To Cry(ノー・ティアーズ・レフト・トゥ・クライ)」が話題を読んでいる Ariana Grande(アリアナ・グランデ)。この度発売されたアメリカの雑誌・TIME誌が選出する”次世代の10人のリーダー”に女性アーティストでは唯一選出されるなど、その社会的影響力も日に日に増してきている。
 

そんなアリアナ・グランデが、同誌のインタビューで初めてメディアでマンチェスター事件について自分の気持ちを語った。事件の直後にはアリアナの呼びかけで数々の著名アーティストが参加した慈善コンサートを開催し、テロに屈さない姿でマンチェスター市民のみならず世界中に勇気と希望を与えたアリアナ・グランデ。
しかし今回のインタビューでは、

「音楽とは本来、世界中で一番安全なものであるべきなのよ」「だからこそ、今も毎日、私の心にそれが重くのしかかっているんだと思う」「私に改善できることが、もっとあったらいいのにと思う。時間が経つにつれ、こういったことはもっと語り易くなるだろうとか、折り合いが付けられるようになるとか、一般的には思われているでしょ。でも私は毎日、そういった安らかな気持ちが訪れるのを待っているけれど、まだとても辛くて苦しくて」

と語るなど、勇気ある行動の裏に隠された悩みや葛藤、この事件が自身に与えた影響、現在の思いなどを語っている。また、事件の起きた日である現地時間22日には、自身のSNSで「私は今日、そして毎日、皆さんのことを考えています(蜂マーク(※))。皆さんのことを全身全霊で愛すると同時に、今日というこの深く考えさせられる日に、皆さんに光と温もりを送ります。」(※蜂=英・マンチェスター市民を指すシンボル)とのメッセージも投稿している。

アリアナ・グランデは現在4枚目のアルバムを制作中とのこと。様々な困難を経験し、今もなお戦い続けるアリアナがどのようなメッセージをこの作品に込めるのか、世界の注目が集まっている。
 

▼アリアナ・グランデのTIME誌インタビューの全文はこちら▼

かなりボリュームのある文章だが、彼女の真摯な気持ちが伝わって来る。彼女のファンでなくても時間のある時に読んでもらいたい。

アリアナ・グランデは今、幸せだ。そしてそれを人々に知ってもらうことが、彼女にとっては重要である。とはいえ、今日のような晴れた春の日、ビバリーヒルズの崩れ落ちそうな家を訪れれば、彼女の幸せぶりを見逃すことはまず難しい。芝生に手足を伸ばして座り、保護施設から貰い受けたビーグルとチワワのミックスの愛犬トゥールーズスに赤ちゃん言葉で囁きかけている彼女からは、そんな幸せオーラが放たれてくる。そして踊るような身のこなしで彼女が家の中から庭に出て、フリルの付いた灰色のチュールのドレスでクルクルと回っている姿もまた、幸せに満たされているのだ。
 
彼女には、幸せになる理由がたくさんある。24歳で、世界最大のポップ・スターの1人に上り詰めたグランデ。そして、大ヒットした前作アルバム『Dangerous Woman』から2年が経ち、彼女は今回新曲をリリースすることになった。彼女の最新シングルは「No Tears Left To Cry」と題された曲だ。そのタイトルから予想されるのは、恐らく壮大な哀しみのバラードだろう。彼女は涙も枯れ果てた!と。だが、そうではなく、これは意気揚々とした、90年代のハウスを取り入れたポップ作で、吐息交じりのヴォーカルと元気溌溂とした語りを部分的に取り入れた、遊び心をちりばめた楽曲となっている。彼女は慎重にこの曲を選んだ:「イントロではゆっくりと入っていって、そのあと勢い良く進んでいくの」と彼女は言う。「元気や勇気を取り戻していくというのが、この曲のテーマなのよ」。
 
2017年5月22日、英国マンチェスターで行われたグランデのコンサートで爆弾テロが起き、22人が死亡、500人以上が負傷した後、立ち直るまでに彼女が歩まなければならなかった道のりは、想像を絶するようなものあった。それゆえ彼女は、“立ち直ること” をテーマとした曲を作ったのである。実際に起きたことは曲の一部となっているが、この曲は事件そのものをテーマとしているわけではない。哀愁を帯びた挽歌となる代わりに、これは喜びに溢れた華々しい曲となった。グランデはこの曲を、そして彼女自身を誇りに思っている。「自分自身をもっと大事にしなくてはと思った時、やっと心が落ち着いて、自由や喜びを感じられるようになったの」と彼女は語る。「それがこの音楽の中に注ぎ込まれたのよ」。同曲のミュージック・ビデオでは、彼女は上下逆さまになっているが、それは彼女が以前、人生をそんな風に感じていたことの表れだ。 「足元の地面が見つからなくなってしまったというアイディアを軸に、色々と考えていたの」と彼女。「というのも、今ようやく私は立ち直って、元気を取り戻し、もう一度自分の2本の足で立てるようになった気がしたから」。
 
小柄なグランデは、キューピー人形のような瞳と、穏やかな満面の笑みが魅力的だ。彼女は普段、髪を大きなポニーテールにしているが、今日は念入りに整えられたお団子状のトップノットにして頭頂部にまとめ上げられており、耳元の後ろに垂らした小さな房が、まるで後光(ヘイロー)のような輝きを添えている。彼女の語り口は、誠実で熱意がこもっており、子役時代に舞台を経験してきた彼女のルーツがそこから聞き取れるはずだ。
 
グランデが育ったのは、米国の南フロリダ。彼女の母親は通信会社のCEOであり、父親はグラフィックデザイナーとして成功を収めていた。子供の頃からずっと、彼女は演じるのが好きだった。「6月なのにハロウィーンの仮面をつけて、キッチンで祖父母を観客に、独演会をするのが大好きだったの」と彼女は言う。

彼女は早熟で、意欲に満ちていた。「幼稚園の時の友達が、5〜6歳の時に私達が書いたと思われるノートを見つけたの。そこには『大人になったら、何をしたいですか?』という質問があって、私は<ニコロデオン>(※米国の子供向け専門ケーブルテレビチャンネル)に出て、それから歌手になりたい』と答えてたわ」。
 
彼女は地元の劇場で経験を積んだ後、13歳でブロードウェイのミュージカルに出演。16歳の時、彼女はニコロデオンのシットコム番組『ビクトリアス』のレギュラー陣の1人に選ばれ、視聴者はほとんど若者であったものの、それを機にスターとなった。そして歌手として、バブルガム・ポップに少し足を踏み入れる。その後<リパブリック・レコード>と契約を果たすが、それはレーベルの会長がYouTubeで、ホイットニー・ヒューストンとアデルのカバーを歌っている彼女のビデオを見たことが切っ掛けだった。
 
彼女の最初の公式シングル「The Way」がリリースされたのは、2013年。これはニコロデオン時代に彼女が録音していた音楽とは異なっていた。つまり爽やかでキャッチーな昔返りのソウルで、伸びのある彼女の高い声を存分に誇示しており、時にはそれがまるで楽器の音色のように聞こえることもあった。(熱心なコア・ファンでさえ、歌い方によってはグランデの歌詞が聞き取りにくいことがあると指摘しているが、そういった評については、彼女は冷静にかわしている。このインタビュー中の途中、複雑な質問についての応答を終えた後、彼女は私の方に向き直り「私の発音、はっきりと聞き取れたかしら?」と尋ね、いたずらっぽい笑顔を浮かべた)。
 
彼女のファースト・アルバム『Yours Truly』は全米チャート(Billboard 200)で初登場1位を獲得し、続く2作目『My Everything』と3作目『Dangerous Woman』はさらにそれを上回った。また一連のコラボレーション曲では、チャートを制覇。そこに含まれているのが、「Problem」」(ft. イギー・アゼリア)や、「Love Me Harder」(ft. ザ・ウィークエンド)、「Side to Side」(ft. ニッキー・ミナージュ)などである。そして世界ツアーも実施。音楽界のほとんどの女性同様、彼女には“ディーヴァ(歌姫)”という肩書きが与えられた。インスタグラムではフォロワー数が世界3位に。彼女自身、成功を望んでいたとはいえ、様々なことが手にあまるようになっていたのは事実だ。
 
「人生が急激に変化したから、順応する時間が必要だったの」と語る彼女。現在では、そこに安住できる場所を見出しているという。「外出したければ、私はアリアナ・グランデとして出かけるし、それで大丈夫なのよ」と。「もしあまり大丈夫じゃないなと感じたら、そういう時は多分ベッドで過ごして、ドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』を観たりしているわ」。

今回の新作を制作していた時は、全てが今までと異なっていた、とグランデは言う。まず最初に、彼女は曲作りにおいても主導権を握っていた。それはこれまで彼女があまりやってことなかったことだ。 「歌を歌うということだけで、とにかく胸がワクワクしていたの」と、彼女は以前の作品について語る。「だから曲の共作はしていたけれど、そこまで深く関わったわけではなかった」。今回彼女は、プロデューサー陣に対して自分の意見を主張するようにもなった。すなわち、マックス・マーティン、サバン・コテチャ、ファレル・ウィリアムズという、音楽界で最も信頼のおけるヒットメイカー3人に、自らが思い描いているサウンドを試してみたいと申し出たのだ。 「何でも挑戦してみたわ」と彼女は言う。ウィリアムズには「まず最初に、できる限り最も奇妙なものを作りたい」と、彼女は伝えた。本作には、グランデの声が何層にも重ねられ、合唱のように聴こえる瞬間が何箇所かある。例えば前述のリード・シングルや、官能的で強力なアンセム「God Is a Woman」がそうだが、実はそこで歌っているのはグランデのみで、彼女の声が増幅されているのだ。別の曲「Get Well Soon」では、彼女のヴォーカルは密な音の層に織り込まれ、この世のものとは思えないような異次元のエフェクトを生み出している。「頭の中にある、自分のあらゆる考えに話しかけているような感じなの。そしてその考えが、それぞれ私に歌って返してくれるのよ」と彼女は語る。
 
新たに芽生えたこのクリエイティブ面での自由は、自分自身を癒すために行ってきた努力のおかげだと、彼女は考えている。「自分の気持ちや感情と以前より向き合うようになっていると感じたの、そうして過ごす時が長かったから」と彼女は語る。「自分の気持ちについて、前よりも言葉にして語るようになった。セラピーも以前より受けたしね」。彼女は過去、不安に悩んだことがあったが、「そのことをオープンに語ったことはなかったのよ、人生の中でそういう気持ちになるのは当たり前のことだと思っていたから」。とりわけ何が、彼女を不安にさせていたのだろうか? 彼女は黙って頭を横に振る。それは簡単に語れるようなことではない。
 
マンチェスターでのテロ事件後、昨年の夏にどういうことが起きていたのか、語ってくれたのはグランデのマネージャーを務めるスクーター・ブラウンだ。事件後、グランデはアメリカに帰国し、フロリダ州ボカラトン市にある祖母の家で過ごしていた。ブラウンは彼女に会いにそこを訪れ、あることを彼女に依頼。当時、彼自身、それがフェアなことではないのは承知していた「『コンサートをやって、外の世界に戻らないと』と、僕は彼女に言ったんだ。彼女は僕の方を見たんだけれど、その目は『あなたは頭がどうかしちゃったんじゃないの?』と語っていたよ。そして彼女は言ったんだ、『私はもう2度とあの歌は歌えない。この衣装は着られない。私にそんな思いをさせないで』とね」。彼らは残りのツアー日程をキャンセルすることに決めた。
 
その2日後、飛行機で戻ったブラウンは、着陸した時にグランデから16通のメールが届いていることに気づいた。そこには「電話してください。話があります」と書かれていた。ようやくアリアナと電話で連絡がついた時、彼女は、『私が何かをしなければ、犠牲になった方々の死が無駄になってしまう』と言ったんだ」。そして、被害者とその家族への寄付金を募るコンサートをマンチェスターで開催することが決定した。
 
爆弾テロ事件から数日後、現地を訪れた彼らは、到着後すぐに支援活動に向かった。負傷者が入院する病院を訪れ、彼らと面会して対話し、また犠牲者の遺族とも対面。だがコンサートの開演が近づくにつれ、もしかしたら人々は怖れのあまり、会場に足を運んでくれないのではないかと、彼らは心配し始めたのだ。
 
しかし会場で待っていたのは、5万人以上の観客であった。ジャスティン・ビーバー、コールドプレイ、ケイティ・ペリーらを始めとする数多くのアーティストが、このステージに立つため、空路現地入り。グランデはこの夜の最後を「虹の彼方に(Somewhere Over the Rainbow)」で締めくくった。彼女の頬を、涙が伝い落ちていた。<ワン・ラヴ・マンチェスター>と題されたこのコンサート・イベントの模様は英国のテレビで生中継されたと共に、世界中にストリーミング配信され、寄附の方法についての情報も併せて伝えられた。その結果、爆弾テロの被害者と犠牲者遺族のため集められた寄附金は、1,200万ドル以上に到達。マンチェスター市はグランデに“名誉市民”の称号を授け、彼女の「大いなる無私無欲の行動とコミュニティ精神の実証」を表彰した。

「僕らは彼女に、多くのものを背負わせてしまった」とブラウン。 「そして彼女はそれを引き受け、肩代わりしたんだ。これから先の人生ずっと、彼女は正に自分が主張する通りの人間だと言うことが出来るはずだ」。
 
そう、それが事の顛末である。マンチェスターのイベント後、グランデはツアーを終了。それからしばらく、彼女は姿を隠した。
 
これまでグランデは、ある意味現実逃避的な、炭酸の泡が弾けるような元気溌溂とした喜び溢れる音楽で、そのキャリアを築いてきた。:背筋をゾクっとさせる歌声、スリリングなライヴ・ショー、そして洗練されたミュージック・ビデオ。しかし今、本人はテロ攻撃自体と何の関係もないにもかかわらず、彼女は物語の中枢に置かれ、それは無情なまでに動かしようのないこととなった。しかしそれでも、数え切れないほど多くの人々と比べたら、彼女が失ったものとは何だったのか? 人々は、子供を、親を、パートナーを、友人を失っていた。そういったことをあからさまに題材とした芸術作品を作ったなら、私利を図った搾取的なものに見えるかもしれない。だがそれを無視したら、不誠実になるだろう。
 
私がその言葉を口にする前から、私がこの件について尋ねるつもりであることが、彼女には伝わった。私の目を見て彼女はそれを察知し、私も彼女の目を見てそうと分かった。そして泣き出す彼女。それはしとやかな涙ではなく、むせぶような慟哭であった。「ごめんなさい」と彼女は言う。「精一杯、お答えするわ」。
 
彼女はじっくり考え、ゆっくりと言葉を選ぶ。「とてつもない喪失感と苦悩を経験した人が、本当に大勢いて」。彼女自身、計り知れないほどの悲しみを負っている一方、同時にそれは(被害を受けた当事者と比べれば)微々たるものだと彼女は感じている。「この出来事を消化するには、大変な時間がかかると思う」と彼女。あのテロ攻撃自体については、彼女は語りたがらない。「あのことに、あまり大きな影響力を持たせたくないの」と彼女は言う。「ああいったすごくネガティヴなことにはね。人類にとっては、どう考えても最低最悪のこと。だから私は、私にできる最善の方法で、それに対抗した。何より望んでいなかったのは、私のファンがそういった攻撃に遭遇し、攻撃側が勝ったと思ってしまうことだった」。

「音楽とは本来、世界中で一番安全なものであるべきなのよ」と、続ける彼女。「だからこそ、今も毎日、私の心にそれが重くのしかかっているんだと思う」。彼女は深呼吸をする。「私に改善できることが、もっとあったらいいのにと思う。時間が経つにつれ、こういったことはもっと語り易くなるだろうとか、折り合いが付けられるようになるとか、一般的には思われているでしょ。でも私は毎日、そういった安らかな気持ちが訪れるのを待っているけれど、まだとても辛くて苦しくて」。納得のいく解答などない。そこに理由などない。それはたまたま起きただけ。グランデは空を見上げる。「ごめんなさい」と彼女は再び口にする。「質問は何でしたっけ?」。
 
“ミツバチ”は、何年も前からずっと、マンチェスターの象徴であった。それはこの街の働き者の市民に対する敬意であり、この働きバチこそが、産業革命時代にこの地域の基盤を築いたのである。テロ事件後、マンチェスターの何千人もの人々が、ミツバチのタトゥーを入れた。グランデと彼女のスタッフも同様だ。今、彼女はどこにいても、その蜂を目にしている。「No Tears Left to Cry」のビデオの一番最後の場面で、画面から飛び去っていくのが一匹の蜂だ。

それは、マンチェスターで起こったことを彼女がどう背負っているかということの一端である。彼女はバージニア州シャーロッツヴィルで開催されたユニティ・コンサートに出演。また3月にワシントンDCで行われた、銃規制を訴えるデモ行進『マーチ・フォー・アワ・ライヴズ(命のための行進)』に参加し、同イベント会場で歌を披露した。更に、フロリダ州パークランドの高校で起きた銃乱射事件の生存者の一部とも面会している。「彼らはすごく若いのに、すごくしっかりした考えをもっていて、すごく強かったの」と彼女は言う。「お互いが経験したことについて、話し合うことがたくさんあったわ」。
 
グランデによれば、彼女の最新作のタイトルは『Sweetener』(※直訳すると“甘味料”。転じて“甘さや魅力を加えるもの”)とのこと。この題に決めたのは、彼女がファンに伝えたいメッセージがそこに含まれているからだと、彼女は語る。つまり、苦境に陥っても、それを自らより良いものに変えられるということだ。「難題を与えられたら、じっと座って動かずに不平を言っているのではなく、何か美しいものを作ってみない?ってことね」と彼女は語る。
 
そういった考え方は、グランデ自身も痛感していることだ。「私は幸せよ」と言う彼女の目から、再びこぼれ落ちる涙。彼女はそれを拭う。「泣いているけど、でも幸せなの」と。