アメリカ・ニューヨーク生まれの革新的な HipHopグループ「Digital Underground(デジタル・アンダーグラウンド)」のフロントマンで、80年代後半〜90年代の HipHop シーンにおける最もカリスマ的なアーティストの一人である Shock G(ショック・G)が、フロリダ州タンパにあるホテルの部屋で亡くなっているのが発見された。享年57歳。現時点で死因は発表されていない。

Digital Underground を共同設立した Jimi“ Chopmaster J” Dright は、Instagram に次のコメントを発表。

「34年前のあの日、俺たちは HipHop バンドになり、それを通して世界に挑戦するというワイルドなアイディアを思いついた。そして全ての夢が現実になり、その現実は一部の人にとって悪夢になった。そして今、彼は人気だったその生涯を終えた。 shock G a.k.a Humpty Hump、俺の兄弟 Greg Jacobs よ、安らかに眠ってくれ」

Shock G は10年間、タンパで過ごした後、オークランドに移り、Too $hort、MC Hammer、E-40 等の他のベイエリア・ラッパーたちと共に、ウエストコースト・HipHop の中心人物となった。Black Panther party の本拠地であるオークランドは、創造性と黒人のエンパワーメントのるつぼで、他に類を見ないファンクを受け入れ、ラジオのトップレコードは、George Clinton(ジョージ・クリントン)率いる Parliament-Funkadelic(P-Funk)だった。
1987年、Jimi “Chopmaster J” Dright と Kenneth “Kenny-K” Waters と共に結成された「Digital Undergound」は、その funk collective から大きなサポートを受けた最初のラップグループの一つで、2nd アルバム『Sons of the P』で George Clinton とコラボしている。

MC/Producer として活躍した Shock G は、大きな付け鼻をした "Humpty Hump(ハンプティ・ハンプ)" のキャラで最も知られており、Shock G は "Humpty Hump" のキャラについて以下のように述べていた。

"Humpty Hump" の鼻のアイディア全体が生まれたのは、ビデオを撮影するためにパーティー用品を手に取った日のことだった。バークレーの店には、99セントのお買い得な付け鼻がいくつかあった。一つは鋭い鼻、一つは豚の鼻、その他は奇妙は茶色のグルーチョ・マルクス(アメリカの俳優、コメディアン、作家)の鼻だった。俺はそれを装着した。そして、それは俺にとってとてもいい感じだった。それが "Humpty Hump" の誕生だった。

この "Humpty Hump" のキャラは、1989年リリースの「Doowutchyalike」のミュージックビデオに最初に登場し、そこには若かりし日の 2Pac (2パック/Tupac Shakur)も登場している。
 

1990年、デビューアルバム『Sex Packets』リリース後、世界ツアー時には 2Pac がローディーとして採用されていた。 また、2Pac は Digital Underground の1991年の EP『This Is An E.P. Release』収録の「Same Song」にフィーチャリングとして参加している。
 

その後、 Shock G は 2Pac の1991年のデビューソロアルバム『2Pacalyse Now』を共同制作し、1993年リリースの「I Get Around」でもコラボしている。
 

また、Shock G は Prince(プリンス)、Dr. Dre(Dr.ドレー)、Murs(マース)、KRS-One(KRS・ワン)らのアーティストとも数十年に渡ってサポートし合ってきた。
2Pac は、1995年に以下のようにコメントしている。

俺は(Shock G との時代を)最も愛情を込めて振り返る。それらは俺の人生の中で、最高の時期の一つだったように思う……。