1518年7月、一年で最も暑いこの時期に、フランス・ストラスブールの住人たちを突如襲ったのが「Dancing plague(踊りのペスト)」または「Dancing mania(ダンシング・マニア)」「St. Vitus' Dance(聖ヴィートのダンス)」「St John's Dance(聖ジョンのダンス)」「choreomania」とも呼ばれる謎の現象だった。
この現象は、その名の通りダンスに関する社会現象で、突然誰かが踊り出し、それが周囲にも伝染し、更に恐ろしいのが、踊る人の中には死ぬまで踊り続ける者もいた、という点だ。

なお、この「踊りのペスト」が発生したのは、一度や二度ではなく、最も古い記録では7世紀に発生したという記録が残っているとのことで、その後もドイツ、イタリア、フランス等のヨーロッパを中心に発生しているとのことだ。
 
Michael Wolgemut - Dance of Death - WGA25860

多数発生した「踊りのペスト」の中でも、フランス北東部のストラスブールで発生した「踊りのペスト」のアウトブレイクは最大級のものと言われている。
ストラスブールで発生した「踊りのペスト」は、最初に Frau Troffea という女性が踊り出したことに端を発する。
最初のうち、見物人たちは拍手と喝采で、Frau Troffea のダンスで元気付けられたという。
しかし、彼女のダンスは6日間に渡って続き、4日目には33人が、そして1ヶ月後には400人がダンスに加わることとなった。

地元の医師はこの「踊りのペスト」に困惑し、ダンスしている者の体を切って血を抜き、踊れなくようにするべきだと提案。確かにそうすれば踊れなくはなるものの、そのまま失血死してしまう可能性もあり、かなり危険な提案であるように思えるが、そこは医療技術が未発達だった中世ヨーロッパ時代のことであるため、仕方がなかったのかもしれない……。

しかし、街はこの地元の医師の案を否定し、代わりにダンスの影響を受けた人々がこの流行が収まるまでジグ(飛び跳ねながら踊るフォークダンスのこと)を続けるべきであると決定。ダンス用のステージを建設し、プロのミュージシャンやダンサーを雇った。

しかし、ダンサーはそのうち疲労により失神し始め、ダンスに参加した多くの人が脳卒中や心臓発作、そして踊り続けて食事も取れないことから栄養失調で死亡したとのことだ。踊り続けて死亡した人の数は、とある時点では1日あたり15人にも及んだという。

街は彼らに踊らせ続けても問題が解決しないことを悟り、次に宗教に目を向けた。そして、聖ヴィート(癲癇患者のカトリックの守護聖人)が戒律を守らない住民たちに腹を立て、踊る疫病で街を呪ったのでは、と判断され、街の役人は聖ヴィートの怒りをなだめるため、ギャンブルと売春を取り締まった。
この「踊りのペスト」は9月になると突然終わり、踊っていた人々も通常の生活に戻ったという。
 
Die Wallfahrt der Fallsuechtigen nach Meulebeeck

なお、1284年にはドイツのエアフルトからアルンシュタットまで、子どもたちの集団が踊ったり跳ねたりしながら移動していったという、童話・ハーメルンの笛吹き男を彷彿とさせる「踊りのペスト」事件が起こっている。

この「踊りのペスト」は、年齢・性別関係なく感染し、更に発生の原因に関しては、カルト宗教、貧困や社会情勢の不安定さから来る集団ヒステリー、更にはライ麦、小麦、大麦等の穀物に寄生する麦角菌による中毒症状であるとも言われているが、ハッキリとは分かっていない。
 
Dance at Molenbeek

この「踊りのペスト」が近年に発生したという話は聞かないが、カルト宗教や集団ヒステリー的な要因によるものであれば、まさに新型コロナウイルス問題や社会情勢の悪化等から人々が大きな不安を抱える現在、形を変えて似たような事件が起こらないとも限らない。
とにかく、踊るのはフェスティバルやクラブで、楽しく騒ぐだけに留めておきたいところだ……。