02.11 (Tue)
1992年、単身ニューヨークに渡る。同年、DJ Battle For World Supremacyに出場、準優勝を獲得。
Hip-Hopシーンにおいて日本人DJが初めてその実力を認知されたこの歴史的瞬間から、dj hondaのアーティストとしての活動がスタートする。
1995 年、1stアルバム『dj honda』をリリース。The Beatnuts, Redman, Guru, DJ Premier, Fat Joe, Common, Erick Sermonなど錚々たるアーティストが参加。続くセカンド・アルバム『h II』でもDe La Soul, Keith Murray, KRS-One, Mos Def など本場のトップ・アーティストが参加。
2枚のアルバムは画期的なDJ アルバムとして世界中で大きな話題となる。
Mos Defをフィーチャーした2ndシングル”Travellin’ Man”はビルボード誌チャートで16 週以上チャートに入り続けアジア人として初の快挙を成し遂げた。
その後自身のレコード・レーベルdj honda RECORDINGSをニュー ヨーク、東京、ソウルに設立し、
自身のレーベルからリリースしたシングルは立て続けにビルボードチャー トに叩き込んだ。
2009年、Mos Def, Fred Durst(Limp Bizkit), Kool G Rap, EPMD, Rakaa(Dilated Peoples)他、
豪華アーティストをフィーチャーしたアルバム『dj honda IV』を遂に世界同時リリース。
2011年、日本を代表するJazz ミュージシャン・日野皓正のアルバム『Aftershock』のビートを全曲担当し、国内最大級のJazzの祭典 “Tokyo Jazz Festival 2011″他、全国ツアーなども行なった。
現在、国 / ジャンル問わないコラボレーション / プロデュースを行い、常にアーティストとして進化し続けている。
また、Hip-Hopアーティストの活動のひとつとして定着化している音楽とファッションの融合をいち早くスタートしたことでも有名。
自身のロゴをフィーチャーしたオリジナル・ブランド “h”は、世界中の幅広い層に認知されるまでになる。
COUNTRY
JPN
WEBSITE / MYSPACE
www.djhonda.co.jp... More Biography
Hip-Hopシーンにおいて日本人DJが初めてその実力を認知されたこの歴史的瞬間から、dj hondaのアーティストとしての活動がスタートする。
1995 年、1stアルバム『dj honda』をリリース。The Beatnuts, Redman, Guru, DJ Premier, Fat Joe, Common, Erick Sermonなど錚々たるアーティストが参加。続くセカンド・アルバム『h II』でもDe La Soul, Keith Murray, KRS-One, Mos Def など本場のトップ・アーティストが参加。
2枚のアルバムは画期的なDJ アルバムとして世界中で大きな話題となる。
Mos Defをフィーチャーした2ndシングル”Travellin’ Man”はビルボード誌チャートで16 週以上チャートに入り続けアジア人として初の快挙を成し遂げた。
その後自身のレコード・レーベルdj honda RECORDINGSをニュー ヨーク、東京、ソウルに設立し、
自身のレーベルからリリースしたシングルは立て続けにビルボードチャー トに叩き込んだ。
2009年、Mos Def, Fred Durst(Limp Bizkit), Kool G Rap, EPMD, Rakaa(Dilated Peoples)他、
豪華アーティストをフィーチャーしたアルバム『dj honda IV』を遂に世界同時リリース。
2011年、日本を代表するJazz ミュージシャン・日野皓正のアルバム『Aftershock』のビートを全曲担当し、国内最大級のJazzの祭典 “Tokyo Jazz Festival 2011″他、全国ツアーなども行なった。
現在、国 / ジャンル問わないコラボレーション / プロデュースを行い、常にアーティストとして進化し続けている。
また、Hip-Hopアーティストの活動のひとつとして定着化している音楽とファッションの融合をいち早くスタートしたことでも有名。
自身のロゴをフィーチャーしたオリジナル・ブランド “h”は、世界中の幅広い層に認知されるまでになる。
COUNTRY
JPN
WEBSITE / MYSPACE
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