IBIZAを始め世界中の国々や都市で行なわれているCOCOON HEROESに欠かすことの出来ない大切な要素として映像で見せる世界観、演出はとても大きな比重を占めている。そしてそれは東京で行なわれているCOCOON HEROES TOKYOでも同様であり、そのキックオフとなった2012年のパーティーにゲストとしてSVEN VATHと共にCOCOON HEROES IBIZAのレジデントVJでもあり、世界中のパーティーやフェスティバルでVJとして活躍するオランダのヴィジュアルアーティストREACH VISUALSを招き、まさにCOCOONの表現する世界観を見事に再現してみせた。

そしてその後のCOCOON HEORES TOKYOはCLASHの映像演出などをプロデュースするVJNAKAICHIが担当し、COCOONの世界観に東京のオリジナリティーを加えることによりさらに進化し、昨年12月にリカルド・ヴィラロボスを迎え行なわれたパーティーでは再び来日したREACHVISUALSとVJ NAKAICHIによる初めてのコラボレートが実現した。

そして2013年の始めのパーティーとなる2月9日(土)に再びageHaに登場するSVEN VATHと共にREACH VISUALSも再来日することが決定し、12月に続きVJ NAKAICHIとのコラボレーションが行なわれることとなった。そこで、VJ NAKAICHIから来日を直前に控えたREACH VISUALSことANDY GODSCHALKにVJNAKAICHIがインタビューを行なった。

COCOON HEROES の楽しみ方を教えてください。IBIZAでの楽しみ方、TOKYOでの楽しみ方を聞かせてもらえるかな?

COCOON HEROESはDJのみだけでなく、来場者を含めすべての人がヒーローになれるというコンセプトにあるように、会場で撮影されたみんなのポートレート写真をスクリーンに映し出すんだ。来場者のみんなもパーティーを演出する上で大切な一部であって、みんな自分自身の写真がスクリーンに映し出されているのを見て驚いているよ。イビサでも東京でも、みんなが参加できるっていうところが楽しいんだと思う。

あなたは海外の色んな場所でVJをやっていると思うけど、アンディーから見て、海外のクラブ、パーティのエンターテイメント性は今後どうなっていくと思う?

1998年から色んなパーティーでライブビジュアルショウをやっているけど、クラブシーンはその頃に比べて変わったと思うよ。パーティーにくる人たちのファッション、ダンスやお互いのコミュニケーションの取り方も前とは違う。FACEBOOKやTWITTERなどのソーシャルメディアが重要視されている社会だからね。最近の人々は、良いことも悪いことも含めてすぐにシェアしたがるから。写真を取ったり、ビデオを取ったり、今ここにいる瞬間や一緒にいる人たちとの時間を100%楽しんでいない様に感じる。テクノロジーがパーティーに関わる部分はもっと大きくなっていくとは思うけれど、僕たちは一歩さがって、気付くべきだと思う。テクノロジーはパーティーや人間そのものをテイクオーヴァーするものではないってことを。僕たちはロボットにはならないから(笑)。

ところで、ANDYは日本が好きだよね?日本はどういうところが好きなの?(もし観光写真などあったら欲しい)

僕が経験した日本は素晴らしくて、美しく、平和で愛があって、勤勉な国だね。平和で調和がとれていて、お互いを尊重することを親や学校からしっかり学んでいることが伝わる国だね。日本の食べ物も大好きだよ。(沢山のいい思いでがあり過ぎて、選ぶのは難しいけれど、何枚かの写真を添付します。)

日本人のみんなと仲良いよね?パーティ中に沢山の日本人が集まっているのをみた。パーティらしい雰囲気、楽しみ方だと思うんだけど、どう?

僕が日本で旅行している最中にパーティーで出会った人たちは皆、素晴らしい人たちだよ(すごい!)。みんなフレンドリーで、僕にすごく良くしてくれて、沢山の人たちと仲良くなったんだ。みんな家に迎え入れてくれて、生活を共に過ごして、僕もみんながオランダやイビサにくるときは、同じ風に家に迎え入れて一緒に時間を過ごすんだ。

VJを始めたきっかけをなんだったの?

1998年に趣味として始めたのがきっかけだね。映像を取り始めて、それを編集したりして。その頃はよくパーティーに行っていて、ある日アムステルダムのAwakeningsでMicha KleinがVJをしていたときに、映し出されるイメージを見て、僕もこれがやりたいって思ったんだ。彼が立っているあのVJブースに僕も立ちたいって思ったんだ。その頃は常勤でオランダ政府の仕事をしていたんだけど、空いている時間で、イメージのサンプルを作ったりして実験していたよ。

REACH VISUALSについて紹介してもらえるかな。

1998年にオフィスワークと並行してVJとして活動し始めたんだ。REACH VISUALSという名前はより多くの人々に映像・イメージを通してリーチしたいっていう願いでつけた名前だよ。そのときは、パワフルなラップトップも、VJソフトウェアも、VJ用に作られたミキサーも何もなかったころだったからね。あったビデオミキサーは、アナログのパナソニックMX50。10分間のビデオテープに1サンプルが収められていて、それを8-10ケース使って1つのショウを作り上げていたんだ。ライブでビデオテープをアナログのミキサーでDJの流すリズム、ビートに合わせてミックスしていたんだ。2003年にはオランダ政府の仕事をやめて、フルタイムでアニメーター、フィルムメーカー、VJとして本格的に活動し始めたんだ。

90年代は、僕のインスピレーションは昔の3Dアニメーションからきていて、Studio 1k7のX-MIXシリーズや、SF映画のスターウォーズとかに影響されていたね。最近では、訪れたことのある美しい場所だったり、行く先々で出会う人々や過ごした時間からインスピレーションが沸くことが多いよ。

日本のVJについてはどう思う?

VJ NumanとVJ Nakaichiはとってもプロフェッショナルで、熱心で、力強いVJだよ。彼らのアニメーション、テクニック、スタイル全て好きだね。VJ Numanは僕と同じくらい踊るのも上手だよ(笑)。

日本人がどうしたら世界に進出できるのか?できる実力があると思いますか?

海外で成功するには、プロフェッショナルなネットワークを持つこと、アニメーション分野でのスキルが十分にあること、LEDやビデオマッピングの知識とスキルを兼ね備えていること。テクノロジーをしっかり駆使出来ること。特に最近ではテクノロジーの進化が早いからね。

普段スキルを伸ばすためにやっていること(取り組んでいること)は何だろう?

アニメーションでの新しいテクニック、LEDテクニック、ビデオマッピング、ソフトウェア、ハードウェアを常に勉強しているよ。僕はアナログ時代からデジタル時代を経験しているから、今でも常に新しいことに取り組んで、スキルアップを心がけ
ているんだ。

最近取り組んでいるプロジェクトはありますか?

新しいプロジェクトを進めている最中だけど、今の段階ではまだ内緒!
最後に、コクーンジャパンのSHUや、CLASHのARAKIが僕を日本に呼んでくれたことを本当に感謝しているよ!Arigato gozaimasu and always SUGOI and KANPAI!