本名ロバート・S・ケリー、1969年生まれのシカゴ出身。90年、地元シカゴのミュージカル・オーディションで(のちに彼のマネージャーとなる)バリー・ハンカーソンに見い出され、当時組んでいたグループ=MGMを解散。新たにJIVEレーベルと契約を結ぶ。92年、コーラスとダンスを担当するパブリック・アナウンスメントを率いて“R.ケリー&パブリック・アナウンスメント”としてメジャー・デビュー。以降ソロ名義で発表された93年作『12 Play』、96年作『R. Kelly』は、共に500万枚以上のメガヒットとなり、「Sex Me, Pts. 1-2」「Bump N’ Grind」「Your Body’s Callin’」「You Remind Me of Something」「Down Low (Nobody Has to Know)」等のヒット・シングルを連発。セクシャル&センセーショナルなリリックと極上のメロディー、時代性を巧みに読みとったサウンド・プロダクション――その全てを兼ね備えた傑作群は人々を虜にし、R.ケリーは一躍“時代のR&Bセックス・シンボル”となった。アイズレー・ブラザーズをこよなく愛し、積極的にアイズレー・マナーを継承するケリーは、「Down Low (Nobody Has to Know)」でロナルド・アイズレーと共演。以来ふたりは実の親子以上とも思える連携を見せるようになる。
シンガーとしての評価が高まる一方で、プロデューサー/ソングライターとしても幅広く活躍。アリーヤ(デビュー作『Age Ain’t Nothing But A Number』を全面プロデュース)、マイケル・ジャクソン(全米No.1シングル「You Are Not Alone」の制作)、メアリー・J・ブライジ(アルバム『Share My World』に制作参加)、ジャネット・ジャクソン(「Any Time, Any Place」のリミックスを担当)など多くの大物アーティストのヒット曲に携わり、一聴してすぐに“R.ケリー・プロデュース”と判るドラマティックな作風は90年代R&Bシーンに多大なる影響を与えた。また、90年後半には自身のレーベル=ロック・ランドを設立し、女性シンガー=スパークルらを送り出したほか、サウンドトラック『Life』のトータル・プロデュースを手掛け、マックスウェルに「Fortunate」のヒットをもたらす。
98年発表の2枚組大作『R.』からはセリーヌ・ディオンとのデュエット「I’m Your Angel」が爆発的ヒットとなり(全米総合シングル・チャート6週連続1位)、アルバムもキャリア最多となる計600万枚のセールスを達成。さらに映画「スペース・ジャム」にも提供された「I Believe I Can Fly」で3つのグラミー賞を受賞。...
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