ONEMAN LIVE "Project" After Party-Special Guest Performance / eyden
2000年にデビューを果たしたロサンゼルス出身の6人組リンキン・パークはヴォーカルのチェスター・ベニントン、ドラムスのロブ・ボードン、ギターのブラッド・デルソン、DJのジョー・ハーン、ベースのデイヴ"フェニックス"ファレル、ヴォーカルのマイク・シノダによるグループである。彼らの衝撃的なデビュー曲“ワン・ステップ・クローサー”は日常への不満や怒りをぶつけた歌詞とそのギター・ロックとヒップ・ホップを融合したミクスチャー・サウンドで日常に不満を抱く若者たちの心をとらえた。
また、彼らはLPアンダーグラウンドというファンクラブを活用し、ファンと直接コミュニケーションをとる手法で、ストリート・シーンを代表するバンドとなり、アルバム『ハイブリッド・セオリー』は全世界で圧倒的な支持をうけた。このアルバムからのヒット・シングル"クローリング"で2002年度ベスト・ハード・ロック・パフォーマンスを受賞するなど、快進撃は続き、このアルバムはダイアモンド・ディスクとなり、2,000万枚近いセールスを現在までに記録している。(尚、デビューから現在までのアルバム・セールスは全世界で5,000万枚以上)
2003年にリリースされたセカンド・アルバム『メテオラ』はサウンド的にもメッセージ的にも、『ハイブリッド・セオリー』の続編ともいうべき内容で、日常に不満や不安を抱える若者の心をさらに捉え、リンキン・パークの人気を決定づける作品となった。リード・シングルの「サムホエア・アイ・ビロング」は自分の居場所を求める心の叫びが歌われている。
2作連続の大ヒットに自信を深めたリンキン・パークは尊敬をするヒップ・ホップ・アーティスト、ジェイZとコラボ・アルバム『コリジョン・コース』をリリース。リード・シングルの斬新な"ナム/アンコール"で2006年度ベスト・ラップ/ソング・コラボレーションという二つ目のグラミー賞を受賞している。
更なる自信を深めたリンキン・パークは、音楽活動を通したチャリティー活動へとそのフィールドを広げてゆく。
2005年、リンキン・パークは赤十字とともにMusic For Reliefを設立し、世界の災害の被災者や世界の温暖化対策などに貢献する活動をスタート。スマトラ島沖地震では10万ドルを寄付し、ファンにもチャリティーを呼びかけた。(2010年にはハイチ大地震を支援するために、ダウンロード・トゥ・ドネートを創設。27万ドルもの収益をあげた。昨年の東日本大震災でもいち早く支援のために、立ち上がった)
2007年には、リック・ルービンを迎え、3作目の『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』をリリース。アルバムのタイトルは世界終末時計の針が進んでいることを意味している。この作品から、リンキン・パークは自らのアルバムを社会的なメッセージを持つ作風に舵を切っている。リード・シングル「ワット・アイヴ・ダン」は戦争や地球温暖化など、人間社会が行ってきたことへの痛烈な皮肉である。
2008年、映画『トランスフォーマー/リベンジ』の主題歌用に、描き下ろしの新曲「ニュー・ディヴァイド」を提供し、全世界で大ヒットを記録。ニュー・アルバムへの期待が高まった。
2009年、前作の作風をさらに、推し進めるアルバム『ア・サウザンド・サンズ』を発表。
タイトルは、“千の太陽が天空で爆発したとしたら、その輝きは全能な者のようになるだろう“という、原子爆弾を開発したオッペンハイマーが最初の核爆発実験を目撃した時に口にした言葉からの引用であり、描かれているのは終末を迎えた世界のように思われる。ヘヴィーなギター・サウンドから遠ざかり、より重苦しいテーマを描いたこの作品はファンの間でも賛否両論を呼んだ。
これまでに、リンキン・パークはアルバム『メテオラ』から、全米アルバム・チャート初登場3作連続1位(『コリジョン・コース』を含むと4作連続1位)を獲得し、グラミー賞2個、累計アルバム・セールスは5,000万枚以上という輝かしい記録を持つ。